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秩父重隆【ちちぶ・しげたか】 生没年不詳
 次郎大輔。重綱の子。源義賢を養子とした。

秩父重綱【ちちぶ・しげつな】 生没年不詳
 武綱の子。出羽権守。武蔵留守所総検校職に任じられ、武蔵国衙の在庁官人となった。

秩父重光 → 小島重光

秩父重能 → 畠山重能

秩父武綱【ちちぶ・たけつな】 生没年不詳
 十郎。武基の子。源義家に従い、後三年の役で活躍した。

秩父武基【ちちぶ・たけもと】 生没年不詳
 別当。将常の子。

秩父将常【ちちぶ・まさつね】 生没年不詳
 村岡忠頼の子。村岡良文の孫。秩父郡秩父氏祖。

秩父綱房 → 安保綱房

千葉憲胤【ちば・のりたね】 生没年不詳
 武蔵千葉氏。後北条家家臣。江戸衆の1人。江戸新倉(和光市新倉、下新倉本町)、上足立郡内野郷(大宮市内野本郷、宮前町)、大窪村(浦和市上大久保、下大久保)、大多窪(浦和市太田窪)等に475貫を領していた(「役帳」)

中条家長【ちゅうじょう・いえなが】 1165〜1236 72歳
 藤次、右衛門尉。成尋の子、常光の孫。鎌倉幕府の御家人。平家との合戦では源範頼に従う。評定衆の1人に加えられ、「御成敗式目」の制定に関与した。

中条常光【ちゅうじょう・つねみつ】 生没年不詳
 判官。藤原鎌足16世。もともと藤原姓だったが、長承元年(1132)武蔵国司として大里郡中条(熊谷市上中条)に館を築き、中条姓を名乗った。

中条出羽守【ちゅうじょう・でわのかみ】 生没年不詳
 実名不詳。後北条家家臣。江戸衆の1人。武蔵多東郡府田郷、吉見郡大串内北分(吉見町大串)に282貫430文の知行を得ていた。