太正七年─────────
一月 歴史的瞬間が、この絶望の大地で起ころうとしていた。 その中心である銀座残骸に立つ当事者米田は 魔神器二つの設置完了を確かに感じ取り、ついに時が満ちた事を覚悟する。 魔神器『玉』、『鏡』設置後の魔神器『剣』は穏やかに青の光を放っていた。 米田の軍服は返り血を浴びて汚れていたが、 他の魔神器に影響され、呼応した魔神器『剣』の霊力によって汚物は塵に消えていた。 まるでおろしたての軍服であるかのような様子。 米田からは全ての『米田ではない部分』が塵になったのである。 その時、米田はようやくきたかとにやけたが、 内心、やはり不安らしかった。 それを横目で見る一馬は悲痛な目で米田を見る。 一馬「………」 一馬の心配をよそに、 米田はその場にドカリと座ると、魔神器の剣を額にあてがった。 魔神器発動の儀である。 儀式が完了し、米田を囲む周囲一○七万平方キロメートルに放たれる 霊力波が全ての降魔を全滅させる。 この目標までの残された準備はもう、呪文の術式詠唱と探索を残すのみとなった。 その間、二度降魔の往来があったが、 それらは一馬が切り捨てている。 藤枝「はぁ…はぁ…」 その時、魔神器設置を終えた藤枝がふらふらな足取りで、 米田と一馬に合流した。 顔の血の気は引き、 山崎を失った精神的ダメージと積み重なった疲労が 藤枝の体力を奪っていたのである。 しかし、それでも藤枝は必死でここに走ってきた。 陸軍特別別派対降魔部隊所属・山崎真之介の戦死を報告するためである。 藤枝は山崎の戦死と魔神器設置完了に至るまでを こと細かく一馬に報告した。 消えそうな声で、白い吐息に混じりながら、 頬を赤くする藤枝は風邪を引いていた。 建気に放す藤枝を抱き止める一馬は 山崎の死に、目を閉じて悔しそうに首を左右に振った。 常に死と隣合わせの戦争で、一馬は山崎の死に驚愕する様子は無かった。 ただただ、悔しそうに食い入っていたのである。 真宮寺の力を有する彼には 山崎という大きな霊力が消えた事を実は察知していたのかもしれない。 長い呪術詠唱に耐えるため、精神を集中する米田は、 ドカリと座ったまま、ガレキの上で震える藤枝と抱く一馬を見上げて、 全てを予測する。 直接の報告を受けないものの、 何が起こったのか、 何が藤枝あやめに涙を流させているのか、わかったのである。 米田「………山崎…」 強気だった米田の心が深く沈み、乱れる。 脳裏に映る術式文が明らかに歪むのが米田自身にもわかる。 しかし、自分の置かれている状況が、 米田に涙を流させない。 魔神器発動の儀を成功させる。 その一心で、米田は歯を食いしばって雑念を切り捨て、集中した。 その時、全てが安定していた。 巨大な三角形に置かれた魔神器も、 膨大な霊力が集中される帝都の磁場も、 術を行う米田の精神も。 辺りに降魔は見当たらない。 例え出現しても一馬と藤枝の二人がいれば、 なんてことはないだろう。 それをわかって、 一馬は安堵し、安らかな表情で壊滅した帝都を見渡した。 泣きじゃくる藤枝も、一馬に頭をポンと叩かれ、 同じく見渡す。 辺りには雪が降り続け、 降魔の死骸も無残な陸軍兵の死体も 銃火器といった、もう不必要な兵器も覆い隠すようだった。 こうして、大量の陸軍兵と対降魔部隊員一名という、 大きな犠牲をはらんだ降魔戦争は終わると誰もが思っていた。 最後に米田という犠牲をも払い、 今日、人間は降魔という名の怨念に勝利すると誰もが確信していたのである。 しかし────── 藤枝は確かに見た。 遥か遠くのガレキの中から一匹の 傷だらけの降魔が立ち上がったことを。 藤枝の表情が再び、 凍りつく。 一馬はそのあわてように辺りを見渡し、 彼もまた一匹の降魔に気がついた。 すると、その降魔を中心に、 次々と降魔の死骸が立ち上がり始めたのである。 それはおぞましい光景だったのだろう。 思わず藤枝は吐いた。 なにせ、降魔の死骸とはいっても、 すでに肉片にまでこまぎれたものまで、浮かび上がっていたからだ。 一馬は睨む。 見える限りでも、ガレキの上に次々と降魔の黒い点が増えていく。 増大するその数は明らかにおびただしいものだった。 しかし、一馬の目は絶望しない。 その降魔たちに生気を感じなかったからである。 あの死骸・肉片も自分の意思で立っているのではなく、 誰かに浮かばされているかのようにダラリと浮遊するだけだった。 その事を一馬は藤枝に説明し、 落ち着かせる。 彼女はなかなかに落ち着きを見せなかったが、 それでもやはり軍人だった。 彼らより下のガレキで 精神を集中する米田には何が起こっているかわからない。 浮遊した降魔の死骸・肉片は 雲にも届く一定の高さまで到達すると、その全てが止まった。 辺りの肉片が全てその高さまで到達すると、 その肉片は一斉に初めの傷だらけの降魔へと飛びかかった。 ベチャリ、グチャリと子供が泥で遊ぶかのような音を立てて、 傷だらけの降魔は完全に肉に包まれ、 その大きさを増していった。 それを見上げるしかない二人は息を飲んだ。 やがて巨大な球体にまでなった降魔の肉片は 空中でおびただしい汁を垂らしながら浮遊する。 それを見つめる一馬は ハッと気がついた。 奴らも自分達と同じ事をしようとしているのだと。 しかし、それを皆に伝えるよりも早く、 降魔の肉片は変化し始めたのである。 その光景を見て、藤枝はペタリと腰を抜かせてしまった。 一馬「……なんてことだッ!! 降魔に蓄積された怨念はまだ尽きてはいなかったッ!!」 震える一馬は霊剣荒鷹を強く強く握り締めた。 その強く、悔しそうな一馬の横顔を見つめ、 藤枝もことの成り行きを理解する。 藤枝「……怨念が…融合したってゆうの…ッ?」 もう、恐怖を通り越して呆けるしかない藤枝は 巨大な降魔の形を成していく巨大な肉片球を見る。 だが、一番驚愕していたのは、 二人ではなく、呪術への準備をしていた米田だった。 米田「………ッ!!」 初めは声が出なかった。 まわりをガレキの壁に囲まれて、隠れるようにしてここにいる 米田が見上げたものは増大する邪悪な霊気の塊だったのだ。 降魔は対降魔部隊と同じく、最後の手段を繰り出して来たのである。 それは新約聖書に記される悪魔の形にも似た、 牙をむき出し、空を覆うような翼を広げる最強最悪の降魔。 もはや怨念に縛られた降魔は 雲をかき分け、その鋼の身に雲を舞い、現れたのである。 米田「馬鹿な…ここまで来て…ッ」 正直、絶望した。 今、こうして高めている魔神器の霊気とて、 あの怪物を倒すに至るかも判らなくなっていた。 疑心暗鬼に捕らわれ、 精神も乱れた米田からは青の輝きも薄れていく。 そこへ、藤枝が米田のいる場所へ身を乗り出した。 指令の意思を仰ぐ。 この状況になっても体に染みついた行動は取れないらしい。 米田はうつむき、 考えた。 この現状を。 恨むべき現状を。 もしかしたら最後の好機かもしれない、この状況を。 今までに起こった対降魔部隊での生活が 米田の頭によぎる。 辛くはあったが、苦しいものではなった。 それは帝都防衛を果たす、それ一心で望んだ部隊だからだ。 しかし、ここでの決断いかんでは その存在意義をも覆しかねない。 米田は帽子を深々と被った。 藤枝に弱りきった今の表情を見せないためである。 指令は部下の者の士気を高めなくてはならない。 これも指令の使命とはいえ、 あまりにも残酷で、あまりにも悲痛な使命だった。 米田「撤退だ…」 初め、米田はボソリと言った。 藤枝はその言葉を聞いて、 うなずくことなく、顔が泣きそうに鳴っていた。 米田の口元が続けて動く。 米田「作戦実行不可能を確認、 本部隊は撤退する……ッ!!」 その声は震えていた。 聞き入れた藤枝は米田の言葉が確かなものだと理解し、 悔しそうに涙をこぼした。 藤枝「そんな…ッ! それじゃあ山崎少佐は…」 再び藤枝はへたり込む。 長年、米田のもとで仕事をしてきたが、 米田の言葉を不服と感じたのはこれが初めてだった。 彼女とて、魔神器の発動の意味はわかっている。 今回の作戦が降魔を一掃する作戦であり、 あくまで降魔一掃が目的であり、 分配される霊力波ではあの降魔だけは倒せない。 作戦の練り直しが必要である。 わかっている。 判っているのだけれど、藤枝は泣いた。 これでは山崎が浮かばれない。 何の為に彼が命を燃やしたというのか。 そんな彼女に、 一馬は軍服の上着を抜いて、 山崎と同じように藤枝にかける。 藤枝「……大佐?」 振返った藤枝の目には涙が見えていた。 一馬の目が細まる。 何かを覚悟して念じる。 その時、 下方向にいた米田が、 そこより這い上がってきた。 表情は今でも悔しそうで、 切なそうで、悲痛に耐えていた。 米田とて、山崎の死を無駄にしたかったわけではない。 いや、山崎だけではない 何千人という陸軍兵達、帝都の願いを捨てたくは無い。 藤枝が這い上がってくる米田を手伝う。 一馬はその光景を見て、 不意に歩くと、米田の元に手を伸ばした。 登ろうとする米田には、明かに懐に携えた魔神器の剣が 邪魔に見えたのである。 米田は一馬に魔神器の剣を渡すと、 登り終え、立ち上がった。 米田は再び、あの降魔を見上げる。 空中に鎮座し、こちらを見てくる降魔。 巨大な体を有する帝都の怨念の結晶。 こうして対峙すると、自分の体に染みついた震えが 更に強くなっていることがわかる。 米田は再確認した。 米田「……俺達はナメ過ぎてたんだ 帝都への怨念を…」 その言葉に、藤枝は座り込み、米田の顔を見ない。 理解は出来ても山崎の死を引きずる彼女は米田に服さない。 一馬も悔しそうにうなずき、米田に納得の意を見せた。 すると米田もうなずき、振返る。 これから、あの降魔からいかにして撤退するか。 新しい作戦を考えなくてはならない。 あれほど巨大な降魔からの撤退マニュアルなどどこにも無いからだ。 できれば考えたくなかった作戦。 米田はうつむく。 情けなくてうつむく。 自分の浅はかさが、全ての原因だった。 米田はとりあえず、一歩歩く。 米田「これより本体は撤退する… 己々の武器を持って生き残って欲しい…ッ!!」 米田は刀を持ち直し、 藤枝は立ち上がった。 一馬も刀を抜き出し、中央突破の意思を見せる。 米田「………ッ!!」 しかし、米田はその言葉を最後に、 けして進もうとはしなかった。 不思議に思う藤枝が米田の立っている位置に駆け寄る。 すると、藤枝は言葉を失って 目を見開いた。 藤枝「もういやぁ……」 藤枝がペタリと座り込み、髪が雪風に吹かれて舞う。 彼と彼女が見た光景は対降魔部隊の行く手を阻むように 立ち並ぶ降魔の群れだったのである。 それも何十匹やそこらではない。 何百匹、今まで切り捨てた降魔が全て蘇ったようすら見える。 しかし、彼らがのし歩く地面には明かに 彼らの同朋の死骸が落ちている。 降魔はまだまだ身を潜ませていたのだ。 米田の体中が固まる。 そして脱力して膝から落ちる。 最悪をまざまざと見せられた米田は絶望を再確認した。 米田「てめェら…帝都はそんなに呪われてるとでも言いてえェのか……?」 すでに涙混じりの米田の言葉は、 藤枝あやめの脳裏にも同じく撤退不可能と知らしめた。 一馬「………」 その時、一馬は天空を見上げた。 あのおぞましき降魔ではない。 灰色の雲とそこから零れ落ちる雪を見つめた。 そして手にしていた、少女が笑いかけてくる場面が写った写真を クシャリと強く握り締め、 覚悟を決めた。 一馬「………」 小さく唸った一馬は、 鞘に愛刀をしまい、それを手にとって米田に歩み寄る。 一馬の足音に振り返る米田。 米田「………一馬?」 米田が不思議に顔をかしげる。 そんな戦友に、一馬は霊剣荒鷹と手紙を差し出した。 一馬「米田中将、これを頼みます…」 最初は一馬が何を言っているのか判らなかった。 それほど米田は気が動転していたし、 一馬の行動は不可解だった。 米田は差し出された霊剣荒鷹と手紙を 呆然としたまま受け取ってしまった。 一馬は深々と一礼すると、振返って歩き始める。 米田「一馬?」 米田の呼びかけにも、一馬はもう振返らない。 呆然としていた米田だったが、 その光景を見て、心が奮い立った。 徐々に走り始めた一馬の後姿を見ていると その右手には、しっかりと魔神器の剣が握られていたのである。 それを見て、ようやく米田は気がついた。 米田「一馬…てめェ、まさか……」 米田は瞬間的に、自らの不注意を悔いる。 不用意に一馬に魔神器を渡してしまった事だ。 米田「止せェェーッ!!一馬ァッ!!!」 久々な米田の叫びが辺りを包み、 それを降りきるようにして一馬は走った。 一馬「……ッ!!」 疾走と走る一馬の手には冷たい魔神器と、 クシャクシャになった写真が一枚握られていた。 白い息を吐きながら、 辺りで一番の高台にまで上ると、 一馬は踏みと留まる。 一馬の脳裏に覚悟のニ文字が立ち上った。 対路するは天空にうがたれた降魔。 一馬は、あの時の米田の時と同じく額に魔神器の剣をあてがい、 大きく一度深呼吸をする。 その拍子に手にしていた写真がヒラヒラと落ちていった。 それに目もくれない一馬は、 キッと最悪の降魔を睨む。 一馬「………」 一気に何かを強く念じ、精神を高めていく一馬の脳裏には 淡い桜色の着物を着た少女の姿が映っていた。 それは微笑み、時として泣きながら慕ってくれる最愛の… 一馬は額から魔神器の剣を離し、高々と天へと向けた。 少女の名は真宮寺さくら。 父・一馬とまだ少ししか生活を友にしていない娘である。 一馬「……さくら…」 一馬の体から蒼い光が放たれる。 一馬「私は…お前の住む世界を……」 そこまで口にして、後は黙った。 全ては米田に託した妻への手紙に託してある。 そう念じ、一馬は最後の雑念を振り払った。 その瞬間、一馬を包んでいた蒼の輝きは 爆発的に増加し、その光が辺りの全てを照らす。 天空にいた最悪の降魔も、 その光に気がついて、 開口した。 おぞましい酸を垂らし、この世の邪悪が全てそこに集まったかのような 妖力を溜めていく。 しかし、気付くのが遅かった。 一馬から発光する蒼い光はそれを遥かに凌駕していたのである。 そして一馬は絶望する全帝都、全世界に向けて、 叫べるように息を吸い込んだ。 米田が地上で一馬を、目を見開いて見る。 一馬「闇より出でし者よッ!闇へ環れエェェッ!!!」 その魔神器発動の言霊と共に、 一馬を包んでいた光が一斉に天の降魔へと向かった。 降魔はそれに恐れを見せて、 逃げよう翼を広げたが、その全ての巨体を光は飲みこんだ。 米田は驚愕する。 あの最悪の降魔を、魔神器の威力は一瞬で消し去ったのだ。 そして、一馬の身に宿っていた最後の蒼い光が広がり、霊力波は放たれる。 それは米田と藤枝をすり抜け、降魔たちを一掃した。 怨念が浄化されるのではなく、塵と消えていく光景は 魔神器の威力を痛感させた。 一馬の力を増大させた魔神器の光は大地を震撼させ、 それが五分ほど続いた。 米田はその光景をしっかりと目に焼き付けるように見つめ、 藤枝はその衝撃で倒れ、頭を打つ。 辺りには消えゆく降魔達の最後の断末魔が聞こえた。 …………… 藤枝が再度目を開いた時には 辺りは静けさを取り戻していた。 藤枝「………」 雪は止んだというよりも、魔神器の影響で雲が吹き飛ばされ消えたのだろう。 以前のように厚い雲は無く、うすい灰色の雲が空一面にあった。 藤枝は起き上がる。 すると、横には米田が立っていた。 藤枝「指令…?」 藤枝が痛めた喉で呼びかけても、米田は振り向かない。 ただただ、悔しそうに遠くの大地を見つめていた。 米田「………こんな馬鹿な話があるか!」 米田は最後にそう言い、 藤枝は呼びかける自分を自嘲した。 藤枝には何が起こったのか、 わからない。 だが、けして良い事が起きたのではない気がした。 辺りは本当に静かで、 降魔もいない。 藤枝は一馬がいないことに気付いて、 その事だけは米田に聞いたが、 米田は口を開こうとはしなかった。 ただただ、悲痛に耐える顔をしていた。 |