太正七年───────
一月 対降魔部隊本部。 米田は自室である指令室で いつものように書類に目を通していた。 その日は朝から肌寒く、空気も乾燥していた。 差しこむ光もどこか微弱で、小鳥が一匹も空を飛んでいなかったのを 今でも不気味に覚えている。 ……コンコンッ! 十時四十五分。 定刻通りに、藤枝は米田の指令室を尋ねた。 現在、米田が読んでいる書類に、 新しい書類を加えるためである。 仕事とはいえ、正直米田はこの書類一つ一つに目を通す事を面倒臭がっていた。 最重要視しなくてはならない降魔の出現に関しては、 サイレンが館内に鳴り響くようになっているからだ。 米田「……ふぅ、あやめ君。 なんでこうもこの部隊に関係無い書類ばかりが来るんだろうかね」 そう、溜め息混じりに漏らす米田は 地下水道工事の改善費と書かれた書類を藤枝にパタパタと掲げて見せた。 藤枝は笑みをこぼしてうなずき、 小脇に抱えた書類を差し出した。 藤枝「どこの部隊も、臨戦態勢は私達に任せたいのですよ。 私達の部隊なんて降魔が消えたら無用の長物ですから」 米田「それはそれで、願ってもねェことなんだが…」 ほんの少しだけ表情がうつむく米田は 差し出された書類を受け取り、山済みの書類山の上にそれを重ねた。 それらは米田の視界をふさぐにまで高くなっていて、 米田はその半分も目を通し終わっていない。 思わず、椅子に軽く腰掛ける。 二人の間に久々に和やかな空気が流れた。 ……コンコンッ! そんな中、再度ノックの音が指令室に響いた。 先程の藤枝のノックより、少し強めのノック音だった。 一馬「失礼します」 とても低く切羽詰ったような声が聞こえて、 米田の視線が厳しくなる。 ドアの向こうの声主が、真宮寺一馬だとわかったからだ。 米田の反応を見てから藤枝は判断し、 指令室のドアを開く。 藤枝「どうしたんですか?大佐」 軍服の彼女は首をかしげた。 それに対し、軍服を着こんだ一馬はうなずき、 藤枝のことを笑顔でかわす。 そのままツカツカと指令ディスクを前に座る米田に 歩み寄ると、一馬は礼儀正しく直立し、強い瞳で真っ直ぐ見つめた。 一馬「米田中将…、嫌な予感がします」 それは長期に渡って平和を保たれていた現在、 突拍子でもない事だった。 はっきり言えば、無粋なことを言う一馬を 米田は無言で睨む。 長年付き合ってきた友の顔には 一筋の曇りも無く、釈然と指令の判断を仰ぐ部下がそこにいた。 背後の藤枝が心配そうに二人を見つめている。 窓ガラスの逆光に照らされる米田の表情からして、 先程の一馬の言葉は冗談ではないようで、 無言の二人は喧嘩しているようにすら見えた。 それほど、二人は殺気に似た気配を放っていたのである。 藤枝はあまりの緊張感に息を呑んだ。 一馬「少し…帝都の様子を見て来てよろしいでしょうか」 固まった空気を割いたのは一馬のこの言葉だった。 米田はしばし考えた後、 組んでいた腕を解いて立ち上がる。 米田「わかった。俺も行こう」 それにうなずく一馬は クルリと振りかえり、歩き始めた。 一馬が通りすぎていき、 藤枝は現状がわからない。 なぜ、こうも真宮寺一馬の行動は予想できず、 またそれが参考とされるのか。 ただ、すれ違った時、藤枝は一馬の腰に 彼の愛刀・霊剣荒鷹が提げられていた事に気がついた。 彼とて、自分の言葉を冗談と捉えていない。 本気で降魔が帝都に出現したと判断しているのだ。 この平和な時に。 天気が悪いだけで、上層部からも何の連絡も無いの時に。 藤枝が疑心を表に出さないように うつむいていると、そこへ米田もすれ違いに振りかえった。 米田「あやめ君、君はここで待機し、 本部からの連絡に対応してくれ」 しゃがれた声の米田の声が この時の藤枝には妙に怖く感じた。 コクリと、藤枝がうなずくのと同時に、 二人は指令室を後にした。 藤枝「………」 少し、茫然自失気味に、立ち尽くす藤枝。 そこへ、指令室のドアが開きっぱなしになっていることに 気がついた山崎が立ち止まった。 山崎「……あやめ?」 瞳をこらして、その彼女を見つめる山崎に 藤枝はビクリと顔を上げる。 藤枝「少佐……」 山崎「一体どうしたんだ? 大佐と中将が深刻そうな顔で出て行ったが……」 山崎はどうやら気休めしていたらしく、 服装がワイシャツにズボンといった軽装だった。 彼もこの異様な雰囲気に気がついたらしく、 めずらしく素直に心配して見せる。 そんな彼を見つめ、藤枝は必死に呼吸を整えて、 最後に大きく息を吐いた。 藤枝「現在、調査中です… ですが、戦闘態勢は取っておいたほうがいいかも……」 彼女はそこで言葉を詰まらせた。 やはり、まだ信じられないらしい。 だが、そのしばしの沈黙の時、一馬の言葉が真実であることを 裏づける出来事が起こった。 ウウゥゥーーーーーーーッッ!!! 山崎「………むぅ!」 その聞き慣れたサイレンに、 山崎は天上を見上げて反応する。 自然と気が引き締まり、思わず拳を握る。 一方、藤枝は驚き、 そして、急いで指令ディスクに装置されているモニターへと駆け寄った。 藤枝「ああ……ッッ!!」 モニターの発光に照らされて、紅くなった藤枝の顔がこわばる。 山崎「どうした、あやめ」 彼女の反応の異常さに、山崎は 思わず口調を強めた。 藤枝は震える指先で、モニターをコツコツと叩き、 何かを数えていた。 恐怖で口を震わしながら、藤枝は 身を起こし、山崎に報告する。 藤枝「降魔が帝都に出現…ッ! その数、複数……確認できるだけでも二百を超えてます…ッ!!」 その弱々しい言葉に、山崎は声を張り上げた。 山崎「なんだとォ!」 驚くのも無理は無い。 今までの降魔出現の数は多くても十体程度だったからだ。 これではまるで国同士の戦争ではないか。 山崎も信じられないといった面持ちで、モニターに駆け寄る。 山崎「なァ……ッ!!」 藤枝の言う事は全てが真実だった。 蒸気機器に照らされた帝都の地図の上に、 黄色のマークが次々と点在している。 本来、このモニターは敵の出現位置を知るためのものだが、 これでは許容量を遥かに超えていて、意味を成さない。 驚愕二人の横で、 もう一つの蒸気機器、モールス信号受信機がカタカタと動き始めた。 山崎は冷や汗を書きながらモニター上の点を見つめ、 せめて重点地区を知ろうと確認し、 藤枝は崩れ落ちるかのようにゆっくりとモールス信号受信機から 流れ出てくる長方の紙を手に取った。 モールス信号式に書かれた報告書である。 藤枝はその類まれな才気で、その暗号文を解読していくと、 みるみるうちに表情が真剣そのものへと変わっていった。 さき程までのひるんだ様子は消えていたのである。 藤枝「本部からの正式の出動命令です!! 直ちに米田指令を呼び戻しましょう!」 そう言って、藤枝は山崎へと叫んだが、 山崎は目の前のモニターに食い入っていた。 山崎「信じられん……これほどの怨念が帝都に…」 その時の言葉はあまりにもぼそぼそと言ったので、 おそらく藤枝には聞こえなかったのであろう。 藤枝は山崎がただ短に、モニター確認に集中しているんだと思い、 再び大きな声で詠唱した。 山崎「あ、ああ……」 ようやく彼にも聞こえたらしく、山崎は身を起こした。 だが、額には明かに冷や汗が見られ、動揺している事がわかる。 藤枝は山崎へと一礼し、すばやくタイトスカートで走り始めた。 今ならば、米田と一馬の二人に追いつくはずだからだ。 山崎「………」 一人、取り残された山崎。 厳しい現実を目の当たりにして、茫然自失と立ち尽くす。 その背後の窓に、その時一筋の小雪が流れ落ちた。 この冬、帝都に初めて雪が降ったのである。 例年通りならば、今の時期ともなれば正月ということで、 初詣と人が盛るはずだったが、 今年はそれをするわけにもいかなかった。 先日の山崎真之介の予言通り、 帝都に降魔が現れたからだ。 ただし、今までのように 徐々に増えていく形式ではなく、 今回の降魔は一斉に現れた。 後々、調べ上げた 陸軍上層部の発表では その数、数百とも数千とも言われ、 結局全体的な戦力把握までには至らなかった。 その原因の一つとして、 都市機能への壊滅的ダメージが挙げられる。 降魔達が初めに行ったのは 情報機関の撲滅だった。 その工程はあざやかで、 まるで誰かに操られているかのように一括されていたと 情報局は賢人機関に報告している。 その為、 各陸軍の戦闘機関への伝達が遅れ、 その端末である対降魔部隊へ情報が伝わったのは事件発生確認から 三日後の事だった。 彼ら、対降魔部隊が状況を知った時には、 すでに帝都は壊滅した後だったのである。 |