あの銀座襲撃が最近起こった事件の中で
目立ったものだった。
しかし、最近は『降魔達』の動きも静まっていた。

銀座襲撃の際も直前まで静まる時期があったものの、
ここまで長期に渡ったことはない。

不気味で、そして精神を圧迫してくるような不思議な静けさだった。
こういうのを古くから‘嵐の前の静けさ”といって
日本では最も気を引き締めなくてはならない状況だった。

米田「………」

米田もこの静けさを軽く見てはいなかった。

執務室の大きな窓に打ちつける雨を見つめ、
帝都を見つめる。

その表情はやはり明るくは無かった。

その米田の後ろで、真宮寺一馬は起立していた。
戦う時の軍服とは違う、ワイシャツに軍服のズボンという、
簡単な正装で一馬は現れた。

一馬「どうですか、上層部(うえ)との話し合いは…」

そんな一馬の気遣いに、
米田は苦笑いで振りかえった。
二人は対降魔部隊に所属する以前からの長い付き合いである。

米田「まあ、大丈夫だろうよ
   お前さんの心配する事じゃねえや」

そう言いきる彼だったが、
その表情は明かに無理をしていた。

それを見つめ、一馬も苦笑いで合い乗る。

一馬「……この戦い…いつ終わるのでしょうか」

その問いは部隊に所属する誰しもが
抱くものだった。
それは指令である米田も含めて。

米田はその一馬の言葉から彼の心中を察した。
この男、真宮寺一馬は対降魔部隊の中で唯一の妻子持ちである。

米田「なあ…一馬よ……」

米田の口調が低くなった。
その異変に、うつむいていた一馬は顔を上げる。

米田はその一馬の細めた目を見て、
ズボンの両サイドのポケットに両手を突っ込んだ。

米田「さくらは何才になる?」

突然、日常的なことを米田は持ち出した。
一馬は目は丸くしていたが、すぐに安堵の息をもらして微笑み、
口を開いた。

一馬「今年の春で…十才くらいでしょうか」

米田「そうか……もうそんなになるかぁ」

米田は背筋をググッと伸ばし、
いつもの席にドカリと座った。

一馬も張り詰めていた空気が解けて、
思わず口元を緩ませる。

一馬「この戦いが終わったら、仙台に来て
   さくらに会ってやってください」

すると、米田は椅子の上で体を反らし、目の上に手を乗せた。

米田「ああ、お前さんと一緒にな」

二人の間で時玉にでる、
日常的な会話はいつも娘のことだった。

以前はこの話を共にできる仲間も多くいたのだが、
長引く『降魔』との戦闘に次ぎ、人との戦闘により失っていったのである。

二人は最後の戦友とも呼べる仲だった。


──────……………


深夜。

山崎の部屋から見える空は満月が美しく、
今日は白夜だった。

だから、ランプに火を灯さずとも、
こうして図面が見える。

山崎は草木の眠る時間帯になっても、
帝都を守るための技術を探っていた。

作られた図面にはすでに光武の原型が記されていた。
後は本格的に開発段階に入るだけである。

山崎「………」

日頃の疲れか、少しやつれた感のある山崎は、
コップのお茶をすすった。

そしてそのまま、図面と向き合ってありとあらゆる算術式を描いていく。

その背後から、藤枝あやめが軍服の上着を持って現れた。

藤枝「少尉…風邪をひきますよ」

そう言って、彼女は山崎の肩に上着をかける。
それに対し、山崎はなにも反応を見せず、ただただペンを書きなぐっていた。

藤枝は心配し、瞳を潤ませていた。

『今すぐその作業を止めて振りかえって』と言いたいけれど、
その一途さを好きになってしまったから藤枝は口に出せない。

それ以上、何も出来ずにもどかしんでいる藤枝に、
山崎は目線すら送ることなく、
振りかえらない。
そして、ペンを進めて口を開いた。

山崎「…お前はどう思う」

不意の言葉に、藤枝は首をかしげた。
返答が無いので、山崎は続けた。

山崎「真宮寺…大佐のことだ」

山崎のペンの動きは止まらない。
ハッと目を見開いた藤枝の目がやがて細まり、彼女はうつむいた。

藤枝は山崎が最近、一馬のことを異端者と見るような視線を送っていることに
気付いていた。
言葉に出す事はなかったが、山崎は確実に
一馬の力の源を知りたがっている。

藤枝「少佐……」

そんな疑心暗鬼な山崎の態度が、
藤枝のことをどれほど心配させてきたか。

藤枝は目線をそらしながら、
山崎の隣に椅子を置き、そしてそこの上に座った。

藤枝「少佐……少し休んだ方が…」

それは仕事に関しても、真宮寺一馬への興味に関しても、
同じように言えたことだった。

藤枝の口から、真宮寺一馬の名前が出ない事を
山崎は悟ると、怒りも笑顔も見せることなくペンを走らせた。

彼女の再三に渡る心配の声を、
山崎は跳ね退けるように図面作成に没頭していく。

さすがの藤枝も
山崎の集中力を阻害する事を良しとせず、
ただ黙って立ち上がり、彼の後ろで肩を落とした。

藤枝「あまり無理をなさらないでください、少佐……」

そして彼女は振りかえり、何かに耐えるように胸元に手を添えて、
ドアの方へと歩き始めた。

やはり、山崎は何も言う事は無く、
深夜は静かで、部屋の中には藤枝のカカトの固いブーツの足音のみが響く。

藤枝は仕方無しに、
山崎の部屋のドアノブへと手をかざした。
一定のリズムを刻んでいた藤枝の足音が止まる。

その時、山崎の手が止まり、
その鋭い瞳が感情を抱いて細まった。

山崎「……あやめ」

低くて、ひどく震えた懐かしい声だった。

藤枝「………ッ」

呼びとめられた藤枝の、ドアノブを掴んだ手が止まる。
まるで、背中に釘を打ち据えられたかのようで、
なぜか目を閉じて切なそうにうつむく藤枝の四肢は動けない。

声の響き方からして、
山崎はまだ振りかえてはいないようだった。

山崎「私の体は大丈夫だ。帝都に仇なす降魔と戦うために、
   こんなところで倒れるわけにはいかない」

少し、山崎の声が留まる。

山崎「それよりも、お前は大丈夫なのか…?
   どこぞの夜更かしに付き合って……吐息が乱れている」

藤枝「………ッ!」

藤枝は唇を噛み締めてうち震えた。

少し、涙も出ていたかもしれない。

しばらくして、
藤枝は言葉を返そうと、口を開いた。

山崎の言う通り、呼吸は乱れている。
そういえば、息も熱く、頬も火照っている。

そして、彼女は振りかえった。

藤枝「私はあなたの…」

グッ…

藤枝の服が着崩れて、肉質の温かい何かが藤枝を包む音。

そこで、彼女は言葉を止めた。

藤枝は突然、息を殺してしまった。
部屋の中に、また不思議な静けさが戻る。
だが、藤枝の脳裏には一度に一気に感情が溢れ出た。

山崎「………」

振りかえった彼女の四肢を、
山崎は両手で強く抱きしめていたのである。

当然、藤枝は息を呑んで、
起こった現状把握に顔を紅くして、考えた。

藤枝「……しょ、少佐…」

それが今の彼女には精一杯だった。

山崎の長身は、藤枝を抱きしめることで明確に現れ、
藤枝の頭は彼の胸元にある。

頬を紅くする藤枝は抱きしめられながらも
上を向いて山崎の顔を見ようとしたが、
彼自身が隠しているかのように銀髪に遮られて見えなかった。

唯一見える、唇が動く。

山崎「……いずれは帝都の中枢部に『降魔』は現れる。
   戦い、奴らを殺してでも帝都は守らなくてはならない」

彼の顔を見るのをやめた藤枝の頭上で響く、
山崎の声はいつになく強かった。

藤枝は投げかける言葉すら見つからず、
ただただ、この温かい中で聞くしかなかった。

山崎「……たかが四人の対降魔部隊…
   例え私達が守り抜いたとしても、平和の帝都には再び敵が現れるだろう。
   ……『降魔』の怒りが鎮まらない限り…何度でも……」

藤枝「…『降魔』の…怒り?」

聞きなれない言葉に、藤枝が復唱すると、
それをかき消すかのように、山崎は藤枝の四肢を強く強く抱きしめた。

それを気遣い、藤枝は今はつまらない疑問を持つことをやめた。

山崎「………」

山崎の苦悶の表情は、やはり何かに苦しんでいるようで気になったが、
おそらく自分には何もできないと藤枝は思う。

ただただ、こうしているだけで、もういい。

藤枝あやめはそう思って抱きしめられていた。