それぞれのお正月―三人娘編―


 ちゃかちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃんちゃん……

 などと、琴の音でも聞こえてきそうな、太正十三年正月の帝都。
 銀座の街を縦横に走る蒸気鉄道の正面にも、正月を祝う飾り物がつけられている。
 普段はモダンな飾り付けがされている洋風の商店も、松飾りや門松を飾って正月を祝っていた。
 そんな銀座の町中を、
「きゃぁっ、遅刻遅刻〜〜っ!!」
 などと、まるで一昔ほど前の学園ドラマみたいなことを言いながら駆けてゆく一人の少女がいた。
 大帝国劇場の売店で売り子を勤める高村椿である。
 これがセーラー服着て口にパンなんぞをくわえていればまんま学園ドラマなのだが、今は着物姿におせんべいをくわえているという、何か微笑ましいというか、思わず笑ってしまいそうな状況である。
 それが証拠に、初詣帰りの人々が思わず振り返ってはその姿に思わず微笑んでしまっている。
 それに気づいているのかいないのか、椿は一目散に帝都の町を駆け抜けていった。

「あっ、来た来た。もう、遅いわよ椿」
「由里さんごめんなさぁい。支度に手間取っちゃって」
 そう言ってぺろりと舌を出す椿を見て、榊原由里は苦笑した。
「まあ確かに、晴れ着なんて滅多に着ないものね、お互い」
 そう。いつも大胆なスーツを着こなし、帝都のモガ達の羨望の的である由里も、今日は華やかな着物姿である。
 ちなみに、椿は蘇芳(すおう)色に椿の花の紋をかたどった着物で、頭にはこれまた椿の花の形をしたかんざしがさしてある。
 一方の由里は赤と朽葉(くちば)色を組み合わせたもので、普段の洋装に負けず劣らずの大胆なものである。
 二人が今いるのはとある山手の住宅街。これからかすみの家へ年始の挨拶に向かうところである。
「よし。じゃあ行きましょうか」
「はい。行きましょう!」
 冬にしては暖かい、小春日の差す帝都の街を、二人は並んで歩き出した。

「あっ由里さん、ここじゃないですか?」
 そう言って椿が指さしたのは、一軒の文化住宅だった。
 文化住宅とは、太正期後半から建てられた、生活上、簡易・便利な新形式の住宅のことで、洋風の外観に和風の内装という和洋折衷住宅のことである。
「あらほんと。『藤井』って表札があるわね」
「早速入りましょう!」
 二人は玄関の前に立つと、がらがらと引き戸を開け、
『かすみさぁん。あけましておめでとうございまーす!!』
 と、声を合わせて家の中に声をかけた。
 すると奥から、
「由里に椿ね? 入ってちょうだい。今ちょっと手がはなせないの」
 というかすみの声が聞こえてきた。
 二人は顔を見合わせると、履き物を脱いで家の中へと入っていった。

 玄関を抜けてすぐの部屋は八畳ほどの和室だった。
 部屋の真ん中には箱膳が三つ置いてあり、それらが囲むようにして真ん中に五段重ねの重箱が鎮座していた。
「あっこれ、おせちですか? あたしおなかぺっこぺこなんですぅ。早く食べましょ!」
「ちょっと椿。新年の挨拶が先でしょ」
 お膳の前に座り、早くも箸を構えた椿に、由里があきれ顔でたしなめる。
「あっそうでした。ごめんなさぁい」
 そう言って椿も由里の横にちょこんと正座した。
 しばらくしてかすみも台所から出てきて、二人に向かい合うように正座した。
 今日のかすみの服装は萌黄(もえぎ)色をベースに、所々に白く花が彩られている振り袖である。
「では、由里、椿。あけましておめでとうございます」
『おめでとうございます!』
 そう言って三人はそろって深々と頭を下げる。
 そしてやはりそろって頭を上げるやいなや、
「じゃあ、おせち料理食べましょう!」
 と椿が素早くお膳の前に戻り、再び箸を構えた。
「あっきれた。椿、そんなにおなか空いてるの? 朝ご飯はちゃんと食べたの?」
「それが食べられなかったんですぅ。お着物着るのに時間かかっちゃって」
 由里の問いに、椿はちょっとばつが悪そうに答えた。
 その時間がかかった理由が、実は寝坊したからだとは、恥ずかしくてとても言えるものではなかった。
「あらあら。それじゃ、今お雑煮を持ってくるわ。お餅は何個入れる?」
「わーい、お雑煮ですぅ。あたしはお餅三個入れてくださぁい」
「あたしは……二個でいいかな。かすみさん、何か手伝いましょうか?」
 由里が気を利かせて尋ねた。
「いいのよ由里。今日はお客さんなんだからのんびりしてて。おせちでもつまんでてちょうだい」
「でもなんか悪いですよ……あっそれに、これからいっぱいごちそうになるんだから、少し身体動かしておなかすかせとかなくっちゃ」
 笑いながらそういう由里に、かすみもつられて笑みをこぼし、
「わかったわ。じゃあそこの戸棚からお椀出してくれる?」
「はい、お任せください」
 そう言って由里とかすみは台所へ入っていった。
 そして居間では、椿が一生懸命おせちを食べているのだった。
「もぐもぐ……うーん、やっぱりかすみさんのお料理はおいしいですぅ!」

「はい、出来たわよ。かすみさん特製のお雑煮」
 お盆にお椀を三つ乗せて、由里はそんなことを言いながら居間へ戻ってきた。
「わーい、お雑煮ですぅ! 早く食べましょう!!」
「椿……あなたさっきからそればっかりね」
 由里がお膳を置く前にお椀に手が伸びた椿に由里が苦笑しながら言った。
「いっぱいあるからゆっくり食べなさい。お餅をのどに詰まらせたら大変よ」
 同じく苦笑しながらかすみは言った。
「それじゃあたしも、いただきまーす」
 由里もお椀を手に取り、まずは汁をひとすすり。
「――味の方はどうかしら。私の故郷のものにあわせて作ったのだけど……」
 かすみが少し不安げに尋ねる。
「うん、おーいしい! おいしいですよ、かすみさん」
「ほんとおいしいですぅ。これならいくらでも食べられますぅ!」
 あいからわずがつがつ食べながら椿は言った。
「本当? よかった。口に合わなかったらどうしようかと思ってどきどきしてたの」
 そう言ってかすみもお雑煮を食べ始める。
「お醤油で味付けしてあるんですね。具も色々入ってて、なんだか豪勢ですね」
 由里の言葉通り、かすみの作ったお雑煮にはあぶらあげ、鶏肉、ねぎ、椎茸、にんじん、なると、そしてみつばがトッピングされており、とても具だくさんである。
「あれ、この黄色いのは何かしら?」
「それはゆずの皮なの。私の実家じゃよく入れるんだけど……」
「へぇ。場所によっていろいろ違うものなんですねぇ」
「由里のところはどうなの?」
「あたしのところは……だいこんとかきょうなとか、あと里芋も入れますね。だしもさばとかいわしから取るし……」
 などと、二人がお雑煮談義を交わしていた、その時。
「ぐむぅっ!?」
 横手から妙なうめき声があがった。
 二人が慌てて見てみると、そこには喉を押さえながら苦しそうにもがいている椿の姿が。
「ちょっと椿! まさかほんとにお餅喉に詰まらせたの!?」
「ぐむむむ……ぐるじいでずぅ」
「待ってて。今取ってあげるから」
 そう言うと、かすみは椿の背中をとんとんとたたき始めた。
 しばらくすると、詰まっていた餅も取れたらしく、椿もようやく楽に息ができるようになった。
「もう大丈夫みたいね」
「もう、椿ったら。もっとゆっくり食べなきゃだめじゃないの。大体お餅をあんなにがっついで食べたらのどに詰まって当然……」
「由里。ちょっと待って」
 なおも何か言おうとした由里の口をかすみが塞ぐ。
「ちょっとかすみさん、どうしたって……え?」
 見ると、椿がうつむいて小さく肩を震わせているではないか。
「あ……ごめんなさいね、椿。あたしも、ちょっと言い過ぎたかな」
「いいのよ椿。気にしなくても。おなか空いてたんだし、ね」
 二人ともばつが悪そうに椿に声をかける。
「うぅ〜っ、かすみさぁん」
 ようやく顔を上げた椿は、涙目涙声で二人に訴えかける。
「大丈夫椿? まだどこか痛いの?」
 心配げに訊ねるかすみに、しかし、椿は持っていたお椀を前に差し出すと、
「おかわりくださぁい!!」
 と、元気よく言い放った。
「あ、あのね椿、あなた泣いてたんじゃないの?」
「はい。お雑煮がとってもおいしくって、感動して泣いちゃいましたぁ。てへっ」
 それを聞いてかすみと由里は一気に脱力した。
「もう、まぎわらしい事しないでよね!」
「でも、何でもないようでよかったわ」
「はい、何ともありません! だからおかわりくださぁい」
「まったく、この子ったら」
 かすみは苦笑を浮かべつつも、椿からお椀を受け取り、台所へと向かった。

「はい、これで月見酒。それに……猪鹿蝶ね!」
「え〜っ、由里さんズルイですぅ! それあたしが取ろうと思ってたのに〜っ」
「へっへー、早い者勝ちよ♪」
 ひとしきり食事も終えた後、椿と由里は花札の「こいこい」に熱中し始めた。
 なんでも正月に入る前、二人して紅蘭からみっちり教わったのだとか。
 そんな中、

 がらがら……

「すみません。藤井かすみさんに電報です」
 ふいに玄関戸が開き、若い男性の声が聞こえてきた。
「あ、はい。ちょっとお待ちください」
 二人のこいこい勝負を横から見ていたかすみは立ちあがり、玄関へと向かう。
 玄関には逓信局の帽子を目深にかぶった男性が立っていた。右手には電報らしき紙切れを持っている。
「藤井かすみさんですね」
 配達員が確認してくる。
「ええ。私が藤井かすみですが」
「大帝国劇場から電報です」
 そう言って、配達員が電報を差し出した。
「帝劇から?」
 かすみは電報を受け取ると、とりあえず中を確認した。
 そこにはこう書かれていた。

『メイジジングウニテキシュツゲン。テイコクカゲキダンシュツドウセヨ』

「……明冶神宮に敵出現。帝国華撃団、出動せよ!? ええっ!?」
 かすみは驚いて顔を上げ配達員を見た。しかし、すでにそこには配達員の姿はなく、かわりに小さな紙切れが落ちていた。
 その紙切れには三日月の絵が――
「三日月……月組?」
 かすみの頭に月組の名が浮かんできた。隠密行動部隊の月組なら、迅速にこのような機密事項を通達することもできる。
 かすみはこれはいたずらの類ではないと判断。すぐに部屋にとって返し、
「由里、椿。明冶神宮に敵が現れたわ。出動よ!」
 と二人に伝えた。
 今まで花札に熱中していた二人だが、かすみの言葉によって一瞬に緊張した面持ちにかわる。
「まったく。どこの誰だかは知らないけど、お正月からでてくるなんて、とんでもないやつらね!」
「明冶神宮と言えば、花組の皆さんが初詣に行ってるところですよ!!」
「私たちは花組のバックアップのために帝劇本部に待機しなくてはなりません」
 落ち着いた声でかすみが由里と椿に話す。
「せっかくのお正月だけど、帝都の平和を守るため、私たちもがんばりましょう!」
『はい!』
 二人の元気良い返事に、かすみはにっこり微笑んで、
「それじゃ、帝劇に行きましょう!」
『了解!!』
 そして、かすみ、由里、椿の三人は青く澄み渡る帝都の空の下を駆け出していった。

「ところでかすみさん。あたし達、この着物の格好で帝劇に行くんですか?」
「あ……あらやだ。着替えていかなくちゃ」
「はいですぅ!」

〈それぞれのお正月―三人娘編― 了〉