○九月某日 天気:曇のち快晴
 今日はかすみさん、由里さん、そしてあたしの三人で『煉瓦亭』にお食事に行きました。
 なんでかっていうと、この前あたしとかすみさんの二人だけで『煉瓦亭』に行ったから、由里さんったら、
「いいな〜。あたしもいきた〜いっ!」
なんて言い出して。結局、三人で行くことになったんです。
 でも、やっぱり大勢でお食事した方が楽しいですよね。
 三人でオムライスを食べたあと、紅茶(由里さんは減量中だからって、レモン・ティーでしたけど)を飲みながら、色々お話しして……。
 他の人が聞いたらなんとも思わないようなことでも、あたしたちには大ウケだったり、由里さんのどこから聞いたのかな?って思っちゃうようなうわさ話とか、かすみさんの大人な雰囲気のするお話とか……もう、きりがないくらい!!
 結局二時間……かな?『煉瓦亭』にいたのは。
「そろそろ戻らないと、仕事遅れちゃうわよ」ってかすみさんが言わなかったら、きっと明日までしゃべっていたかもしれなかったですね。
 お会計をすませて、お店を出たあとも、三人で並んで歩きながら、また他愛のないことをぺちゃくちゃお話しして。
 本当に、心の底から「楽しいっ!」って思えた時だった。
 でも……。
 突然、背中の方に視線を感じたの。
 なんか……とっても冷たい……心臓まで凍っちゃうような。
 あたし、怖くて……振り向こうとしても、できなかった。
「…………?」
 かすみさんも由里さんも、あたしの様子がおかしいのに気づいたみたい。
「椿、どうし――」
「椿、由里、危ないっ!!」
 由里さんの言葉を遮って、かすみさんが叫んだ声を聞いて、やっと体が動きました。
 後ろを振り向くと、帽子を深くかぶった男の人が目の前にいたんです
 右手に持っていた何かが、高く上った太陽の光できらめいたのが見えました。
 それが刃物だってことはすぐにわかったんです。
 でも、そんなことより、あたしをびっくりさせたのは――
 両端をつり上げて、笑っているような口元!!
「!!」
 あたし……覚えてる。
 あのときの泥棒さん!?
「きゃっ!!」
 その時、うしろからどんっと押されて、前につんのめったの。
 どうやらかすみさんがあたしを押したみたい。
 次の瞬間、さっきまであたしのいたところに、光にきらめきながら刃物――ナイフが通り過ぎました。
 なんとか体勢をなおして、その男――この前の泥棒さんを見たんです。
 そうしたら泥棒さんも丁度あたしの方を振り向いて。
 あたしの顔をじっと見て、そして……また笑ったんです!!
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」
 大声で悲鳴を上げたあと、立ち上がってとにかく走りました。
 この前みたいに武器になるようなものも持っていないし。
「椿!」
「待ちなさい!!」
 うしろからかすみさんと由里さんの声が聞こえるけど、とても振り向けませんでした。
 だって、泥棒さんも追いかけてきてるんですもの!!
 あたし、夢中で走りました。
 前からやってくる人をかきわけて、脇道に入って、大通りを横切って――とにかく逃げて……
 自分が一体どこを走っているのか、それすらもわからなくなった時。
「あうっ!?」
 突然石か何かに躓いて、道路に倒れてしまったの。
 周りを見ると、人っこ一人通っていない裏通り。
 かすみさんと由里さんの姿も見えません。
 でも――
「――――!!」
 あの泥棒さんが、あたしのすぐ近くまでやってきて、ナイフを向けていたんです。
 口元をつり上げて笑いながら。
 立ち上がるのも忘れて、後ずさりました。
 あたしが一歩下がると、泥棒さんも一歩前に出て――そんなことを繰り返しているうちに。
 どんっ!って、背中に何かあたったんです。
 見ると、そこには煉瓦づくりの壁が。
 もう、逃げられない――!!
 そう思うと、自然と体が動きました。
 泥棒さんの方に投げ出された格好になっていた右足で、泥棒さんの足を払おうとしたんです。
「――――!?」
 泥棒さんがバランスを崩した隙に、一気に立ち上がって逃げようと思いました。
 でも、泥棒さんの横を通り抜けようとしたとき、がしっ!って、左腕を掴まれたんです。
 そして、そのまま。
「――きゃあっ!?」
 体が宙に浮いたかと思うと、背中から壁にたたきつけられたんです。
 口の中に、苦い味が広がったのがわかりました。
 見ると、泥棒さんはナイフを片手にあたしの方に歩いてきます。
 もうだめ、誰か――!!
 そう思った瞬間。
「お待ちなさい!!」
 突然、横手から声がかかったんです。
 あたしと泥棒さんは同時に振り向きました。
 その先にいたのは――すみれさん!?
「あなた……絶対に許しませんわ!!」
 そういうとすみれさんは懐から二本の木の棒を取り出しました。
 そしてその両端をくっつけて、一本の長い棒にしたんです。
 でも、あれはただの棒ではありません。
 あれは――長刀!?
「くっ……」
 泥棒さんはすみれさんを見て少し驚いた風だったけど、すぐにあの笑みを浮かべて、すみれさんに向かって駆け出したんです。
「危ないっ!」
 あたしはすみれさんに向かってそう叫びました。
 でもその言葉は、すみれさんにではなく泥棒さんの方に向けられるべきだったのかもしれません。
 すみれさんは長刀を構えると……そのあとは動きが早くて、あたしにはとても見えませんでしたが――気がつくと、泥棒さんはすみれさんの前で気絶していました。
「神崎風塵流胡蝶の舞」
 すみれさんはそう言うと、泥棒さんの方には目もくれず、あたしの方に近づいてきました。
「…………」
 思わず黙りこくって、すみれさんを見つめていました。
 あたしの目の前までくると、すみれさんはちょっと笑って、
「……まったく、無茶するんだから。あなたって人は」
 そう言って、あたしに手を差し伸べました。
 呆気にとられたあたしでしたが、ふと我に返ってすみれさんの手を掴んで、そのまま立ち上がりました。
「――これで、借りは返しましたわよ。椿さん」
「えっ……?」
 何のことかわからず、きょとんとする私に向かって、
「あのとき、わたくしに意見したことですわ」
「――あ、あの時の……」
 あたしは恥ずかしさと申し訳なさで赤くなってしまいました。
 でも、借りって一体……?
「わたくしにあんな意見したのはあなたが初めてでしたわ」
 ちょっと怒った顔をするすみれさん。
 怒られる!って思って体をかたくしたけど、すみれさんは笑って、
「でも、なかなか参考になりましたわよ」
「えっ!?」
 見ると、すみれさんはにっこり微笑んでいて。
 誰から見ても、愛らしく思えるようなとびきりの笑顔で。
「また、わたくしの事で気づいたことがありましたら、教えてくださいましね」
 そう言うと、くるりと振り返って大通りの方に歩いていきました。
 あたしはそのまましばらくぼーっと立っていました。
 すみれさん……ゆるしてくれたんだ……。
 そう思うと自然と涙がこぼれてきちゃって……思わず泣いちゃいました。

 あとから聞いた話によると、すみれさんはずっとあたしに謝りたかった、との事です。
 なんでも、最初は私の言葉に腹を立てていたみたいだったけど、しばらくしてから考え直すとあたしの言ったことももっともだと思うようになったそうです。
 あたしと逢わないようにしていたのは、気まずさと恥ずかしさで顔を合わせられなかったからだとか。
 すみれさんって、いつもは自分のことを一番みたいに言ったり、ちょっと傲慢なところもあるけど……でも、本当はそんなことなくて、とっても優しい人なんですよね。
 あれからというもの、あたしとすみれさんは大の仲良しになりました(年も同じだしね)。
 すみれさん、ごめんなさい。
 そして……ありがとう。

〈高村椿の売店日誌 了〉