サクラ大戦 年表《注記》

※注1
 天海の生年は公式設定による。史実での天海の生年月日は確定されていないが、ここでは現在最も有力視されている説を掲載した。
 尚、暗殺未遂の項には史実にて病没した月日を掲載した。

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※注2
 千葉周作の生年は今なおはっきりとしない。ここでは『サクラ大戦前夜 第6話』や『角川日本史辞典』にある1793(寛政5)年説を採ったが、津本陽氏や山岡荘八氏は1794(寛政6)年と著書にて述べている。
 また、没年月日も1855(安政2)年12月10日と同年12月13日の2説がある。

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※注3
『サクラ大戦前夜 第1話』及び『ミュージカル〜花咲く乙女〜パンフレット』によれば、神崎忠義は弘化3年の生まれとなっているが、ここでは『サクラ大戦2徹底攻略ガイド』P50にある設定に拠った。

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※注4
『サクラ大戦前夜 第1話』によると、神崎重樹は明冶33年当時22歳、つまり明冶11年生まれとなっているが(『サクラ大戦前夜』P56)、ここでは『サクラ大戦2徹底攻略ガイド』P50にある設定に拠った。

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※注5
『ミュージカル〜花咲く乙女〜パンフレット』には太正元年当時29歳、つまり明冶16年生まれになっている。

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※注6
 本編では「江田島海軍士官学校」の名で登場。当初「海軍兵学校」だったが途中で名称変更したとの設定である(『サクラ大戦・巻の一』P7)

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※注7
 ここに掲載した生年は『1』マリアエンディング時に登場する墓碑の碑文に拠った。

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※注8
 公式設定による(『サクラ大戦 太正帝都回顧録』P11)。また煉瓦亭にて配布される栞にも「明治28年創業」とあるが、『銀座文化研究』によると煉瓦亭開業は明治27年6月16日であるという。
 なお、煉瓦亭の所在は実際には「銀座三丁目」である。

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※注9
 つぼみの生年月日は『サクラ大戦2徹底攻略ガイド』に拠ったが、『帝撃グラフ』内の用語集では1912年2月19日生となっている。

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※注10
 ここには『サクラ大戦 原画&設定資料集』による没年月日を掲載したが、『サクラ大戦前夜』や『太正浪漫街道』等、太正12年に鈴野十浪が登場しているものもある。

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※注11
『サクラ大戦〜桜花絢爛〜OVAファンブック下巻』P34の年表には、マリアがあやめと会い、帝国華撃団への入隊を承諾したのは太正9年の夏、ということになっている。
 しかし『サクラ大戦前夜 第4話』によれば、マリアが帝国華撃団への入隊をあやめに告げたのは雪の降る季節、すなわち冬ということになっている(『サクラ大戦前夜2』P94〜)。

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※注12
 本編では太正12年春、カンナは沖縄に修行に行っていたことになっているが、『前夜』以降は父の敵討ちのため香港へ向かったことになっている。
 そのため、ここでは香港を経由して沖縄へ向かったことにした。

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※注13
 『1』での月日設定は基本的に本編第9話に登場する「あやめの日記」を参考にした。
 また、ここでの()内の月日は『花組通信』内の「帝都日報」の記事を参考にした。
 尚、「帝都日報」は
レッドカンパニーHP内の大正浪漫街道にて閲覧できる。

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※注14
 史実ではこの日にNHKがラジオ試験放送を開始(3月22日仮放送、7月12日本放送開始)しているが、これでは『蒸気ラジヲショウ』の設定と一致しない(『ラジヲショウ』は通称「サクラ大戦」終結後から大神が遠洋航海に出発するまでの間の話なので、少なくとも1924年のことである)。

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※注15
 本編『2』での由里の話や「帝都ニュース」に登場する。が、史実では山手線が全線開通するのは同年の11月1日のことである。

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