SS「世界は乙女で回ってる」


登場人物紹介

 土蜘蛛・・・本編では悲しい最後を迎える恐いお姉さんだが、このお話では結構な苦労人ぶりを披露するただのお姉さんでしかない。

 火魅子・・・土蜘蛛に仄かな想いを寄せる火車の実妹。オリジナルキャラ・・・一応はね。

 水孤・・・本編では悲恋叶わず散るお姉さんだが、このお話では単なるトラブルメーカー。

 金剛・・・本編でもこのお話でも変わりない。土蜘蛛曰く"桃色筋肉馬鹿"

 火車・・・本編でもこのお話でも変わりなく友達は一人もいない。もっともこのお話では随分と情けない男に仕上がっている。

 鬼王・・・本編では渋く決めているが、このお話では単なる娘を思う一人の父親でしかない。

 京極・・・本編で把握の首魁として良い味だしているが、このお話ではどこか頭のネジが一本飛んでしまっている。

 0.

 世の中に存在している大抵大半の"厄介事"の類いは、それがどのような性質(たち)のものであれ、唐突突然に生じるものであり、それを被る当事者には予想だにしない・・・望みもしない形で振りかかってくる災難惨劇である。
 あたし・・・今は土蜘蛛と言う名で通っているあたしにも、それは例外でないし、この世に生を受けし全ての人間・・・それこそ男だろうが女だろうが、善人だろうが悪人だろうが、老いも若きもまったく関係なく降りかかるのである。
 あたしがこの世で唯一畏怖を抱く存在に足る京極・・・その彼にしたとしても、この"不幸な出来事"から逃れる術を知らない。
 まあ、この一点においてだけは神は万人に対し完全に公平である・・・と言えなくもないのだろうか。
 しかし、これからあたしが話す我が身に振りかかった"厄介事"は、その時その瞬間まであたしにとってまったく無縁なものであったし、"他人の不幸は蜜の味"とはよく言ったもので、あたしにしてみれば所詮はその程度の認識・・・他人事で、笑い飛ばすものでしかなかった筈なのである。

『厄介事を司る神は万人に対し公平である』

 事が起こってしまった今となっては、あたしと言えどもこの有り難くもない公平さに恐れ戦く人種となってしまったことが至極残念でならないし、こう言わざるを得なくなった我が身我が状況が、本当に恨めしい限りなのだ。

 1.

「貴女が・・・貴女が土蜘蛛さん?間違いなく土蜘蛛さんですよねっ!」
 あたしがお行儀悪くどかっと胡座をかいて座っていた椅子から、正に飛び上がらんばかりに驚いた背後からの男の呼び声。それはとある日の帝都のうらぶれた安酒場での出来事であった。
 意外に思われるかも知れないので先に答えておくことにする。
 何故にあたしがこんな場末な安酒場で、みみっち〜く安酒を嗜んでいるのかと言えば、単に薄暗くジメジメ〜っとした赤坂洞穴(黒鬼会本拠)に篭りっきりな生活が耐えられないからであり、彼の地に住まいし変人達(あたしから見れば)も、ストレス解消に多かれ少なかれこうした散策を楽しんでいるのが公然周知の秘密(?)なのであった。
 もっとも、何を考えているのかあたしにはまったく推し量れない鬼王や、元から根暗で暗がり大好きな火車を除いた上での話なのだが・・・。
「あのっ・・・どうかなされたのですかっ、土蜘蛛さん?」

 めこぉ〜〜っ!!

 取り敢えず振り向き様にいきなり殴り倒してその男の口を黙らせてしまうと、ほろ酔い気分もすっかり醒めてしまったあたしは、忙(せわ)しげに自分の脇を両手で抱き締めるように擦って見た。
 初歩の初歩とも言える変化(へんげ)の術・・・六本腕を二本腕にする術が解けた気配はなく、あたしちょっぴし安心しほっと胸を撫で下ろす。
 自分に落ち度がないと分かって幾分落ち着きを取り戻したあたしは、右目の辺りに大きな青痣をこしらえてひっくり返ったままの男の間抜けな顔を見やった。
 一見したところになかなか顔の造りも良さげで、身なりどことなく上品な男であったが、どことなくなよなよっとした感じは残念ながらあたしの好みではない・・・じゃなくて、あたしの見知った男でないことだけは確かだった。
 ふとそこでまでして、あたしは周りからの冷たい視線に気付く。
 不本意にもいらぬ騒ぎを起してしまったあたしは、ぎこちない愛想笑いを浮かべながら周りに一通りの媚びを振り撒きつつとっとと勘定を済ませてしまうと、先ほどから伸びたままの男の襟首を引っ掴んで、そのまま引摺って逃げるようにこの安酒場を後にするしか術はなかった。

「どういうことなんだい・・・ったく!!」
 どうにかこうにか人目につかない運河脇の柳の木の下まで男を引き摺り辿り着いたあたしは、これならば酔っ払いを介抱している風に見えなくもないと自分を無理矢理に安心させ、それまでに胸の内に溜め込んでいたをものを一気に吐き出した。
 あたしがまず何よりも一番に驚いたことは、まさに完璧だと自負していたこの変装を簡単に見抜かれてしまったこと。
 もっとも、よくよく冷静に考えてみると目立つ水色の髪は簡単に結わえて後に束ねただけであるし、服装の方は男物のダークブラウンなスーツ姿・・・いつもの格好と違っているのはそれくらい。水狐に言わせてみれば、これのどこが変装だと間違いなく小馬鹿にされる姿なのである。
「知ってる奴にはバレバレ・・・だよねぇ、やっぱさぁ?」
 油断していたのか・・・自分のあまりの迂闊さ加減にあたしは思わず頭を抱えてしまいたくなったが、今は反省に思いを巡らせている時間などでない。
 誰にも知られていなかったはずのあたしの密かな楽しみ・・・帝都の平和を脅かす黒鬼会五行衆の土蜘蛛、それがこんなところで一人安酒をちびちびと嗜んでいると言うこと・・・が、何故にこの正体不明な男に知れてしまったかと言うことが何よりも大事なのである。
「身に覚えはない・・・よねぇ?」
 自信なげにわが身を省み独りごちたあたしはしきりに頭を捻って理由を考えてみるが、思い当たる節がある筈もなかった。
 その内に気絶して伸びていた男が低いうめき声を上げる。どうやらようやく意識を取り戻したようだった。
「あんたっ・・・何者なんだい?何故にあたしの正体が知っている・・・はっきりと答えなっ!」
 あたしは思わず男の胸座を乱暴にひっ掴むと、力任せに自分の目線の高さまでその顔を持ち上げる。
「くっ、クルジイ・・・息がっ・・・んがっ!」
「こっ、答えるんだよ!あたしの質問にさっ!」
「だっ、だから息がクルジクて答え・・・答えらっ・・・んがっ!」
 いかにも苦しげな男の言葉にあたしは成る程ねと思い直すと、胸座を掴み上げていた手の力を不意に緩めた。
 当然のこととしてそれまでの支えを失った男は、強かに尾骨を石畳の上に打ちつけ悶絶した。
「◎△□×ぃ〜〜!?」
「さあっ、あんたの望みは叶えたげたんだよ!さっさとあたしの質問に包み隠さず全てを答えなっ!!」
 勝手気ままと言うなかれ、この手の詰問尋問が大の苦手だと自他ともに認められてるあたしは、手間も時間も惜しいとばかりに、苛立たしげに強面を作って男の顔を睨みつけ咆え立てた。
 対する男はと言うと、そんな強面なあたしの態度に関心して知っていることについて全てべらべらと・・・喋り出す筈もなく、まるで狼を前にし震える小羊のごとくにその全身を恐怖に支配されてしまった様子で、すっかり怯えの表情であたしを見上げるだけだった。
 その男の見かけ通りの軟弱ぶりさが、あたしの癇に非常に障る。
「ちっ!埒があかないじゃないさ、これじゃ!!」
 そう、あたしはどちらかと言えば・・・いや、どちらかと言わずとも非常に気が短い方である。
「決めた、決めたっ!決めちまったよ、あたしはさっ!!」

『厄介事は極力関わらないに限る』

 あたしがその時下した決断は、さも素晴らしいものであるようにその時には思われた。
 これ以上の問答は無用とばかりに、すっかり怯えきってしまった男の腰を両手でがっちりと後からクラッチし、そのまま力任せに運河の流れの中に放り込んだ・・・真冬の冷たい流れの中にである。

 どっぽ〜〜ん!!

「ったく・・・寒さ厳しいこの時期は、変質者の季節じゃないはずなんだけどねぇ?」  

『まったくもって鬱陶しいことこの上ない』

 その時に続けて口を開けばまず間違いなくこう漏らしたであろうあたしは、服に付いた埃をぱんぱんと払うかのようにし、僅かに波紋が残る運河の流れに一瞥をくれてこの場を後にした。
「さて、どこかで一から飲み直しといこうかねっ!」
 煩わしい事や悩み事は頭に置かないのがあたしの主義(もっとー)である。そうすることが長生きの秘訣であると柄にもなく考えるあたしは、その時の出来事を一緒に運河の中に放り込んでしまうことに即座に決めた。
 しかし、あたしのそんな安易な考えとは裏腹に・・・当然といえば当然のことなのかも知れないが、この厄介事がこれで終わるはずもなかったのである。

 2.

 野生の厳しい掟に縛られる全ての生き物は、必要以上の狩りをすることは決してない。必要以上に狩るのは思い上がった人間くらいなものである。
 何もあたしまでもがその人間の悪しき欲望に倣う必要は無い。あたしは戦うことを何よりも好いているわけではないし、避けられるべき戦いは努めて避けるように常日頃からちゃ〜んと心がけて・・・来たのだと思うが、自信の程は実はあまり無い。
 自信は無いにしても、私用で人前に出る時は変化の術などをかけて目立たぬようにしているし、あたしとしても異形の我が身の使い所は十二分に心得ているつもりであった。
 何せ桃色筋肉馬鹿(金剛のことらしい)と同じ次元で行動しなければならない理由や誇りそれに矜持は、あたしには一切合切存在してはいないのだから。
 無益な戦いは所詮は無益無駄なものでしかないことは、賢明なあたしは今までの人生経験の中でしっかりと学び取った・・・しっかりと学び取った筈だったのに・・・。

「どういうことなんだい・・・ったく!!」
 忌々しげにそう罵らずにはいられなかったあたしの周りには、薄雲のかかった月夜の闇明かりの中、まるで踊るかのごとくに飛び跳ね回る五つの影があった。もちろんただの影などではない。
 その五つの影は降魔とは異質の禍々しさを強烈な放射波としてあたしに浴びせ、それはあたしの気分を不快にさせるに足るものであった。
 このあたしが感じた不快さは、まるで京極が符(ふだ)を使って呼び寄せた式鬼を前にしたものと同質。それから察するに、その類いの物の怪・・・明らかにあたしに対する害意をもった人間の手によるものなのだろうと、瞬時にあたしは判断を下す。
「ちっ!久しぶりに外に出てみれば・・・これかいっ!!」
 あたしは忌々しげに鋭く舌打ちすると、印を結んで己が右手の掌中に妖力を集中させる。
 するとそれによって生み出された殺傷力を伴なった妖風は、明確な攻撃の意志を持って襲いかかる影共に叩きつけられ、その五つの影の連携を乱すことに成功し、その包囲の輪が一瞬弛んだ。
 あたしは機を逃さずに身を屈めて力を溜めると、一気に輪の外へと跳躍しわき目も振らずに常逸を期した風のような速さで街中へと駆け出した。
 このまま振り切ることができるのならそれ以上のことは無い。何も好き好んで正体不明の敵と戦うような愚策は、あたしとしても何とかして避けたい事態であった。
 幸いにしてその五つの影はあたし程に移動速度は速くなく、容易に振り切れるかに思われた・・・その時だった。
「ちょ、ちょっとっ!?」
「つっ、土蜘蛛様ぁ〜!?」
「あっ、あんたはっ!!」

 ぺぐしいっ!!

 車は急に止まれなければ、あたしだって急には止まれやしない。
 十字路を無理矢理に直角近く右折したあたしは、そのままの勢い路地に突っ立っていた人影と見事に正面衝突を果たした。
 あたしは自分の胸の辺りに感じた痛みに僅かに顔を顰めたが、身を捩って衝突のダメージを最小限に止める。
 あたしがぶつかった相手はと言うと、かなり軽量なのか勢いのままに後向きに転がって、すっかり伸びてしまっていた。
「んっ!?随分と急(せ)かすね・・・追い付かれちまうかい?」
 首筋の辺りにちりちりとした痛み(危険信号)を感じたあたしは、正体不明な追跡者たる影共の再度の接近を悟る。
 あたしは石畳の上に転がったままの見覚えあるその人影をひょいと肩に担ぎ上げると、一息ついてから前にも増した勢いで、正体不明な追跡者との距離を一気に引き離しにかかった。 

 あたしが街中で出合い頭にぶつかった人影・・・その少女が意識を取り戻したのは、空がようやく白み始めた頃であった。
 何故にあたしがこの少女を助けたのかと言えば、いちおー顔見知りであったから。
 あたしとしてはこの少女と関わり合いを持ちたくはない……のが本心なのだが、まさかあの場に打ち捨てて行くわけにもいかず、近くの安宿に部屋を取り手当することにしたのだった。
 宿を取る際に意味ありげに誤解しきった笑みを浮かべた主人、それを容赦の無い鉄拳を振るって問答無用で真顔にさせると、鼻血を滴らせたままの主人を後に残し、あたしは部屋に担ぎ込んだ少女の傷の手当てを取り敢えずはしておいたのだった。
「火魅子……気が付いたのかい?」
 あたしは仕方ないと言った風にこの少女の名、火車の実妹たる火魅子に優しい声・・・ではなく、苦渋に満ちた声をかける。
 この火魅子、火車と違って何とも外見は可愛げのある娘なのだが、悪いところはよく似るもので生来の思い込みの激しさだけはまったくの同レベル、自分を完璧だと信じて疑わないがどこか抜けてる火車とまったく良い勝負なのである。
 この二人の親の顔を見てみたい気も一瞬はするが、家族ぐるみな付き合いをする間柄には決してなりたくないのが、今のところのあたしの正直な気持ちなのであった。
 何故にあたしがそこまで敬遠するかと問われたならば、その答えはこの少女が信じて疑わない"運命の良人"にあり、その少女にとっての"運命の良人"と言うのは・・・。
「つっ、土蜘蛛様ぁ〜!!」
 獣がごとき敏捷さで跳ね起き、あたしの胸の中に勢い良く飛び込もうとした火魅子を、あたしは咄嗟にかざした手で頭ごと力任せにベッドに押さえ込む再び寝かせる・・・それも額に青筋を立て、頬には引き攣った笑みを浮べながら。

 ぽふっ

「こらっ!頭を打ったんだから、少しは大人しくしてなっ!」
 あたしの心の葛藤にまったく気付く様子もない火魅子は、その態度に一瞬だけ不満げな表情を見せたが、自分の額に上にあるままのあたしの手の温もりに、その瞳が熱を帯びたかのごとく急に潤ませ始めた。
 あたしはそれに対しものすごく嫌そうな顔を返して見せようかとも思ったが、思い直して曖昧模糊な表情を浮かべるに終始する。
 この少女の純粋(?)な思慕の情には応えてやれないまでも、あたしにはそれを踏み躙ることが出来そうにもない。極めて不本意な形としてではあるが、他人からこのように慕われた経験のないあたしだけに、今まで言下に斬り捨ててしまうことができないでいるのであった。
 その優柔不断な態度が自分でももどかしくもあり、また時にはあたしらしくもないなと感じるその意外さに戸惑いすら覚えてしまっている。そんな自分自身に可笑しさを感じ、苦笑すらしてしまうぐらいに・・・。
「土蜘蛛様ぁ〜・・・ふみゃぁ〜」
「何を考えてんだい、この馬鹿っ!!」
 何はともあれ正体不明の敵の手から逃れたあたしは、火魅子が次々と繰り出すストレートな感情表現にいちいち厳しいツッコミを返しながらも昼近くまで・・・あたしにとっては十数年ぶりくらいの、箸にも棒にもかからない、まったくもって無為無意味な時間を過ごさせられる羽目に陥ってしまったのであった。

「私、あの時ぃ・・・あの瞬間にぃ、運命の出合いを感じたんですぅ!兄を頼り田舎から上京したばかりの私・・・魑魅魍魎蠢く怪異無限の大都会たるこの帝都でぇ、右も左も分からぬ私は悪漢どもに絡まれてぇ・・・そこに颯爽と現われお救いくださったのが土蜘蛛様ぁ・・・きゃっ!!(ポッ)」

『話し終える度にいちいち頬を赤らめるのは止めれ!!』

 ツッコミはそれを入れる相手がボケていなければ、これほどに虚しいと思える所作もないだろう。
 安宿から場所を変えたここは赤坂洞穴(黒鬼会本拠)、半ば"諦めモード"に入りかけていたあたしは、火魅子が何とも華やいだ乙女チックな背景効果を背負っている・・・一瞬飾りっ気の無い岩肌がそのように見える感覚に襲われ、背筋に走るぞくっとした寒気を感じられずにいられなかった。
「いい加減にその妄想の世界から、現実の世界に戻って来とくれよっ!・・・・・・はぁ〜っ」
 あたしは頭を抱えて大きな溜息を漏らす・・・が、実のところ火魅子が話していることは、あながち妄想の絵空事でもなかったりする。
 話は遡ることちょうど一年ほど前、確かに彼女は実兄を頼りに上京して来たし、悪漢とは言えないまでも柄の悪そうな男達に絡まれたのも事実だ。
 私にとっての不幸の始まりは、その時・・・その場に居合わせてしまったこと、両者の間に割って入ってしまったことにある。
 もっともあたしが間に割って入らなければ、火魅子に絡んだ男達の行く末は見事な消し炭・・・そう、不幸にして彼女は火車と同質の力を持つ、火車とは違った意味で危険極まりない"火使い"なのだった。
 まあ、今のところの実害と言えば、桃色筋肉馬鹿(金剛のことらしい)が火魅子に声をかけた瞬間、瞬時に真っ黒焦げにされてしまったことぐらいなので、さしたるものでもないのが救いと言えば救いではあった。
「それにしても・・・何であんたが今この帝都に居るんだい?田舎に帰って慎ましく、健やかに、大人し〜く暮らしてくれてたはずだろ?」
 勘当されて放り出された鬼っ子火車と違って、この火魅子は彼女の養い親にとっては目に入れても痛くも痒くもない根っからの箱入り娘であり、こう度々の上京が許される筈もないのである。
 首筋にちくちくと感じられる鈍い痛み・・・心の発する危険信号を無視して、不思議に思うままにそう問うてしまったあたしは、その後に自分のあまりの愚かさを呪った・・・いつものことながら。
「えっと〜ぉ・・・実は私、此度は土蜘蛛様の御元にぃ・・・(ポッ)」
「ひっ、ひぃ〜〜〜い!?」

 どんがらがっしゃ〜〜ん!!

 悲鳴に鳴らない悲鳴と言うのは、これを指して称するのだろうか。
 あたしは人前で生まれて初めて・・・その不恰好さも気にせずにすとんと腰を抜かすと、まるで地を這う蜘蛛のごとくにしゃかしゃかと後退さった。
「あたしゃ・・・あたしゃ、絶対に・・・・・・絶対に嫌(や)だかんねっ!!」
「・・・見(まみ)えんとする敵の正体をお知らせにぃ・・・って、土蜘蛛様ぁ〜?」
「へっ?」
 まるで駄々をこねる子供みたくにイヤイヤと首を横に振るあたしに、不思議そうな顔をして何事かと見やる火魅子。
 火魅子の言葉をようやく理解し、あたしが落ち着きを取り戻すまで要した時間は数分。それまであたしの頭の中は走馬灯のように・・・ぐるぐると今までの思い出の数々が巡っていた。
 ようやっと気を取り直したあたしは、こっそりと聞き耳を立ててこのやり取りを耳にし、からからと腹を抱えて笑い出した水狐に睨み殺さんばかりの視線を送っておく。 
 あたしにとっては決して笑い事で済まされる問題でないのだ。
「あっ・・・あはははっ、敵・・・敵ねっ!敵の正体・・・・・・あはははっ」
 自然にあたしからは乾いた笑い声・・・無意識の内にほっと胸を撫で下ろす自分に対し、苦笑する程の余裕すらも取り戻したのだが、その次の瞬間・・・。
「そう、その敵は土蜘蛛様と私との恋仲を邪魔をするぅ・・・お倒しください、土蜘蛛様ぁ〜!」
「へっ?」
 それはあたしがこの世で恐れるものが一つから確実に二つになった・・・まさにその瞬間であり、遂に恥も外聞もなく大笑いし出した水狐の声があたしの耳には届くことはなく、あたしの意識は次第次第に黒く黒く塗りつぶされ、やがては・・・ぷつんと音を立てて闇の中へと落ちていった。

 3.

 古代から現代へと命脈を繋ぐ術師の一族が何故にその数を減じているのかと言えば、それは術力を保たんとがために力の強い者同士近親婚を幾世代にも渡って重ねた結果、その血を濁してしまったからなのである。
 血を濁したことによって異常出産が増え続け、年々一族の子供の数を減らしてゆく・・・それを防ぐには、外部から新しい血を取り込むしかなく、それは自由意思による婚姻を無くすことを意味していた。
 一代限りの稀代の術者ならばともかく、そのような血筋の者を立て続けて輩出し続けることは夢物語にしか過ぎないことだろう。
 しかし、その力の存在・・・継承に誇りを感じる術師一族は、敢えてその夢物語に挑まんと欲す。
 火車、火魅子の属する一族は、太古より阿蘇の地に命脈を保ち続けた名門らしい。
 表の世界ならば太閤秀吉の時代に阿蘇を奉る神社の神主を職とした地方豪族の伊東氏が有名ではあるが、裏の世界ではそれよりも遥かに名が知れているらしかった。

「どうしたもんかね・・・ったく」
 一向に要領を得なかった火魅子の説明をあたしなりに解釈すると、親に決められた婚約者を嫌ってかそうではないのかはともかく、その縁談を断る理由としてあたしの名を持ち出したとのことらしかった。

『土蜘蛛様を倒せたならばぁ、考え直してもぉ・・・もちろん貴方には無理な話でしょうけどねぇ?』

 恐らくはこのようなことでも口走ってくれたのではないだろうか・・・。
 まったくもって火魅子の将来に関わり合いの無い筈のあたしは、軽いどころかかなり重い目眩を不意に覚え、想像に易いその情景がありありと心に浮んでしまい、頭を抱えて大きな溜息をつきながらある人物に相談を・・・黒鬼会において、この手の相談事で唯一の戦力とも思える彼女に持ちかけていたのだった。
「ねぇ・・・ねえっ!!あたしゃこれからいったいどうすりゃ良いんだい、水孤っ?」
「得意の荒事なんでしょ?ぱぁ〜っとやっつけちゃえば良いんじゃないの・・・ぱぁ〜っと?」
 手鏡を覗き込みながら眉の形を整えていた水狐は、さしたる関心も示さぬままあたしの相談に無責任に答える。
「ちょ、ちょっとっ!あたしは真剣に相談してるんだよっ!!」
「あらっ?火魅子ちゃんも真剣にあなたのことを想ってるんじゃないのかしらね?」
 そう答えるやいなや、水狐は卓上に突っ伏し懸命にこみ上げてくる笑いを・・・堪えているらしかった。
「倒してどうすんだいっ!そしてその後、その想いにあたしが応えてやるってのかいっ!!」
「それも一つの手ではあるわよねぇ〜?」
 いかにも意味ありげな伏し目がちの媚びを含んだ笑みを向ける水狐、男ならまずいちころな筈のその笑みも、今のあたしにとっては悪意のそれにしか映らず、彼女のからかいの意思を明確に感じさせるものでしかなかった。
「一つの手だって?じょ、冗談じゃないよっ!?」
「冗談よ、もちろんね」

 ぐわっしゃ〜〜ん !!

 まったくもって不得手な悩みゆえ、すっかり調子が狂ってしまっていたあたしは盛大に・・・それこそ卓上に並べられていた水狐ご自慢の高級化粧品の数々を薙ぎ倒しながら、思わず涙を零しそうになる自分を懸命に励まそうと、両手で何度も何度も頭を打ち叩いた。
「ちょ、ちょっとぉ〜!?止め・・・止めなさいよ!あっ、あたしの化粧品がぁ〜!!」
 派手にあたしが薙ぎ飛ばした高価な化粧品の数々を、両手両足・・・その口までもって必死の形相で受け止めて見せた水狐は、あたしのあまりの荒れ様にかなり慌て・・・取り繕ったかのように、真剣な回答者の表情になって見せる。
「分かったわよ、もう!今の貴女のスタンスとしては、火魅子ちゃんの純な気持ちを踏み躙りたくはない・・・かと言って、彼女の気持ちに応えて上げるわけにもいかない。結局のところ、どうにか彼女が傷つかない形で、彼女の貴女への変に捻じ曲がってる思慕の情を改めさせたいってことなんでしょ?」 
「そっ、そりゃそうなんだけどさぁ・・・」
「それにしても難しい話よねぇ〜?別にそこには男女の仲みたくにドロドロとしたものが含まれてるわけでもなし、簡単に言うと・・・"女子高で先輩に憧れの気持ちを抱く、後輩の麻疹(はしか)みたいな擬似恋愛感情"なんでしょ、それ?」
「??・・・そだね、きっと」
 まったく理解できない水狐の例え話に、あたしはうんうんと適当に相槌を打つ。
「無菌室の純粋培養だからねぇ〜・・・火魅子ちゃんは」
「・・・・・・・・・」
「それにしても・・・あまりに良い人ぶり過ぎるんじゃないの、土蜘蛛?」
「これで相手が男だったら、あたしゃ遠慮呵責無しにぶっ飛ばしてるよっ!!」
「へぇ〜・・・残念な話よねぇ?完全な男嫌いなわけでもなく、かといって女好きなわけでも・・・」
「そのあからさまに誤解を招くような物言いは止めとくれ、水狐っ!!」
 キツイ口調でぴしゃりと水狐のお喋り口を封じたあたしは、何か解決策はないものかと期待の篭る眼差しで彼女見やった。 その時だった・・・。

 どかぁっ、ばこぉっ、めきぃっ、ぐしゃぁっ!!

「お兄様の馬鹿ぁ〜!!」
「ひっ、火魅子ぉ〜・・・かっ、考え直しなさい!今からでも遅くはないから!!」
「分からず屋のお兄様なんて・・・燃えちゃぇ〜!!」
「ひぎゃぁ〜〜〜っ!!」
 水狐とあたし・・・水狐に言わせてみれば、"女盛りな美女二人(もちろん私の方が良い女)"が、顔を突っつき合わせて相談している部屋の入り口の隙間から、凄惨な兄妹喧嘩の大音声と、漂ってくる何とも焦げ臭い饐えた匂いと煙があたし達の目をつくように入り込んできた。
「あらら・・・火車は黒焦げね。まったく妹一人説得できないなんて、随分とだらしないお兄様よねぇ〜?でもこれって私にも処置無しってことかしら?」
「だ〜か〜ら〜!!」
「はいはい、分かってますわよ・・・土蜘蛛様ぁ〜!」
「だぁ〜〜っ!!」
 あたしは水色の髪を掻き毟りながら、心の奥底から生じる・・・ありったけの大声を張り上げずにはいられなかった。