目を開けると、そこは自分の部屋だった。
「……え?」
 再び事態を把握できず、目をぱちくりとしばたかせる。
 ゆっくりと見渡すと、そこは宮殿でも舞台の上でもなく、見慣れた寝室であり、服装も純白のドレスではなく、普段着ている寝間着であった。
「今のは、夢……」
 ようやくその結論に至ると、ふうと一つため息をついた。
「こんな夢を見るなんて、私……」
 いまだに残る胸の鼓動を感じつつ、かすみは出勤のための身支度をはじめた。

「あ、かすみさん。おはようございまーす」
 事務局に入るなり、由里の元気な挨拶がかすみを迎えた。
「おはよう、由里。今日の千秋楽は昼と夜の2回公演だから忙しいわよ」
「ええ。でも、せっかくお芝居に出られるんですもの。張り切ってがんばりますよ」
 そう言ってにっこり微笑む由里につられて、かすみの顔もほころぶ。
「おはようございまーす」
 由里に負けないぐらい元気な声で入ってきたのは椿であった。
「おはよう。椿も売店のほう忙しいでしょうけど、頑張ってね」
「大丈夫です。舞台に立てるのだったら、どんなに忙しくてもへっちゃらです」
 満面の笑顔で応える椿。由里も椿も、舞台に出れることが殊のほか嬉しいようだ。
 それは、三人のまとめ役であるかすみにしても同じことである。
 まして演目は『シンデレラ』。女性なら一度は憧れるこのお話に出演できるとなれば、その心境や推して知るべし、である。
「それじゃ、開演までにお仕事済ませちゃいましょう」
 そう言って三人がそれぞれの仕事にとりかかろうとした時。
「みんな、おはよう」
 声のほうを振り向くと、事務局の扉をくぐる大神の姿があった。
「あ、大神さん!」
「大神さん、今日こそ舞台観てくれますよね?」
「ああ。応援の人が来てくれるそうだから、今日は大丈夫だよ」
「やったあ! 今まで以上に頑張らなくっちゃ」
「ははは。張り切りすぎてミスしたりしないようにね」
「あ〜、ひっどーい。今までだってあたしたちちゃんと演じてきたんですよ!」
「そうですよ。NGだって1回も出してないんですから」
「ごめんごめん。そうだね、みんななら大丈夫だ」
 などと、大神と由里、椿が談笑していたが、かすみは話の輪に加わらずにただ大神の顔をじっと見つめていた。
 昨夜の夢の光景が、今の大神の姿と重なって見える。
 大神の唇に目がいったとき、かすみの胸がどきんと打った。
 次第に顔が紅潮していくのがわかり、おもわずうつむいてしまう。
「どうしたんだい、かすみ君?」
 声に気づいて顔を上げると、大神が心配そうな顔でかすみを見ていた。
「なんだか顔が赤いけど……熱でもあるのかな」
 そう言って大神は右手をかすみの額にあてる。
 ますます顔を赤らめるかすみ。
「あ、あの、大丈夫ですから」
 かすみはあわてて大神から離れる。
 その様子に、大神は小首をかしげるだけだったが、その後ろでは由里と椿が複雑な視線を二人に送っていた。

「……帝国歌劇団花組特別公演『シンデレラ』、千秋楽は以上で終了です。お帰りの際はお忘れ物のないようお確かめの上ご退場ください……」
 アナウンスが流れる中、観客たちは次々と客席を離れていった。
 2週間にわたった『シンデレラ』公演も、これですべて終了である。
 いまだ舞台の興奮と感動の余韻が残る中、楽屋では恒例の打ち上げパーティが始まろうとしていた。
『かんぱーい!!』
 おのおのが手にしたグラスが高々と掲げられ、どこからともなくクラッカーの鳴る音が聞こえた。
 紅蘭が曲芸を披露するたびに拍手喝采が起き、それにアイリスが加わってさらに場を盛り上げる。
 さくらとマリアは舞台論議に花を咲かせ、すみれとカンナは毎度おなじみの喧嘩をはじめていた。
 そんな中、かすみ、由里、椿の三人はグラスを片手に初出演作となった今回の舞台について話を盛り上げていた。
「とうとう終わっちゃいましたね、あたしたちの初舞台」
「大変だったけど、とっても楽しかったです!」
「機会があれば、もう一度舞台に立ってみたいわね」
 三人とも興奮気味に語り合っている。やはり憧れの舞台に立てたことがとても嬉しかったようだ。
「かすみ、由里、椿。今回は本当にお疲れさま」
 そこへ話の輪にマリアとさくらが加わって来た。
「マリアさんとさくらさんもお疲れさまでした!」
「お二人は主役でしたし、私たちよりもずっと大変だったでしょう」
「ええ。でもマリアさんのサポートのおかげで無事に大役を果たせました」
「さくらは本当に頑張ったわ。前の公演に比べてミスも少なくなったし」
「もう、マリアさんったら。そんなこと言うなんてひどいです」
 そう言いながらもさくらの顔は笑っていた。皆もつられて笑い出す。
 その後も話は尽きることなく、いつしか時計の針は10時を回ったが、宴はなおも盛り上がり続けていた。
「でも今回のさくらさん、すっごく綺麗でしたねー」
「ほんとですぅ。舞台の上にいるときも、思わず見とれちゃいました」
「そうですか? ありがとうございます。なんだか照れますね」
 由里と椿の讃辞の言葉に、さくらは照れ笑いを浮かべながら応えた。
「今回は衣裳がすごく素敵でしたから……」
「シンデレラのドレスですね。あれはすごかったですねー。本当はそんなことないんだけど、なんだかキラキラ輝いて見えてましたし」
「はじめのみすぼらしい格好のシンデレラはかわいそうな境遇ですけど、ドレスを着たら別人のようになっちゃいますよね」
「まさしく魔法のドレスですよね。見た目だけじゃなくって、内面まで変身させてしまう。かすみさんもそう思いますよね?」
「ええ、本当にそう……」
 言いかけて。かすみははたと口をつぐんだ。
 由里がいたずらっぽい笑みを浮かべていたからである。
「どうしたの、由里。そんなにニヤニヤして……」
 そう訊ねるかすみに顔を近づけ、小声で由里は話しかける。
「かすみさんも、魔法のドレス欲しいんじゃないですか?」
「えっ? 何のこと……」
「大神さんの前でもあがらない自分になるために」
「――――!!」
 由里のその言葉にはっとなるかすみ。
「由里、あなた……」
「ごめんなさい、余計なこといっちゃって」
 そう言って舌をぺろりと出した由里だが、その態度はとても悪びれているようには見えなかった。