おもいでの味



 街路樹の木々が着飾った紅葉のドレスも、一枚一枚はらはらと落つる、そんな晩秋のある日。
 銀座にそびえる大帝国劇場は、久しぶりの休暇に静まり返っていた。
 休暇とはいえ怠ることなく、日課である舞台での稽古を終えたマリア・タチバナが一階ロビーへやってきたとき、丁度玄関から一人の男性が入って来た。
「あ、隊長……」
 呼ばれた男性――大神一郎が振り向く。
「やあマリア。稽古が終わったのかい」
「ええ、今終えたところです。……隊長はお出かけになっていたのですか」
「ああ。士官学校の時の友人と久しぶりに会ってきたんだ」
「そうでしたか。お友達と……」
「たまたま用事で帝都に出てきていてね。朝早くから会って、久しぶりに色々話してきたよ」
 二人は並んで歩き出した。
「では、食事も済ましていらしたのですね」
 今は昼の3時過ぎである。朝から出かけていたのなら、昼食は取ってきているはずだ。
「ああ。みんなで久しぶりにカレーを食べてきたよ」
「カレー……ですか?」
「士官学校では金曜日に必ずカレーが出てね。楽しみのひとつだったんだよ。
 だからみんなでカレーを食べると、あの頃を思いだしちゃうんだよなぁ」
 大神は本当にうれしそうな顔をしながら話しつづける。マリアは黙って大神の言葉に耳を傾けていた。
「……でも、あの頃食べたカレーとはちょっと違うんだよなぁ。なんかこう、もっと甘さがあるというか……」
「それなら、隊長がお作りになったらどうでしょうか」
「えっ?」
 ふいにあがったマリアの言葉に、大神は驚いてマリアを見つめる。
「あっ、すみません。突然変なこと言って……
 ただ、私も隊長の言うカレーを食べてみたいって、そう思ったので……」
 少し頬を紅潮させながら言うマリア。それを見た大神は小さく微笑んで言った。
「――そうだな。よし、作ってみるか」
 その言葉にマリアは嬉しそうに頷いた。
「そうだ。マリア、よかったらカレーを作るのを手伝ってくれないか?」
「えっ、私がですか?」
「ああ。マリアは料理上手だし……俺一人じゃどんなものができるかわからないからね」
 言って苦笑する大神。マリアもつられて笑みをこぼす。
「わかりました。お手伝いさせていただきます」
「よし。じゃあ次の休みの時に作ろう。材料は俺が用意しておくから」
「はい。お願いします。楽しみですね」
「そうだね」
 二人は顔を見合わせて微笑んだ。

 人が何かを心待ちにしているとき、時間はこんなにも早く流れてしまうのだろうか――背に朝日を浴びながら着替えをするマリアはふとそんなことを思った。
 一週間はあっという間に過ぎ、大神との約束の日がいよいよやってきたのである。
 昼過ぎ。厨房にマリアが入ったとき、中ではすでに大神が作業を始めていた。
「隊長、もう準備なされていたのですか?」
「やあ、マリア」
 にんじんを洗っていた手を止め、大神は厨房の入り口に向かい振り向く。
「なんだかじっとしていられなくてね」
 そう言って子供っぽく笑う大神にマリアの顔も綻ぶ。
「私も手伝います」
「じゃ、お願いするよ」
 二人は並んで洗い物をはじめる。
「ふふっ、なんだかあの時のことを思い出しますね」
「二人でボルシチをつくった時のことかい?」
「そうです。隊長はあの時と同じエプロンですね」
「ははは、そうだね」
 そう言って大神はにんじんのアップリケのついたエプロンをつまんでみせた。
「あのときは正直驚きました。隊長があんなにも料理がお上手だったなんて……」
「マリアがいてくれたおかげだよ。俺一人じゃ大変なことになっていただろうしね。だから、今日もよろしく頼むよ」
「はい」
 二人は手を動かしたまま、顔を見合わせて微笑みあった。

 作業は順調に進んでいった。
 大神が具に用意した材料はたまねぎににんじん、ジャガイモ。肉は牛肉だった。
 まずたまねぎを炒め、次ににんじんと牛肉を一緒にさっと炒める。これらにジャガイモを加え中火で煮込んだ後、浦上商店の「ホームカレー」を加えてまた煮込む。あとは夜まで寝かせて出来上がりである。
 本来なら一晩じっくり寝かせて味わいを深めるのが良いのだが、二人がカレーを作るというのを耳ざとく聞きつけたアイリスが「お兄ちゃんのカレーはやく食べたい〜っ!」とだだをこね始めたため、急遽当日の夕食に出すことになったのだった。
 ある程度の作業が終わってしまえばあとは煮込むだけ。ただ見ているだけの退屈な時間となる。その間、マリアと大神の二人は話に興じていた。
 普段の生活のことや舞台のこと、戦闘のこと、花組のこと……様々なことをお互いに語り合う。
 その途中、大神はカレーを煮込んでいる鍋をちょくちょく覗くのだが、そのあとは必ずと言っていいほど大神の士官学校時代の話となる。
「なんせ士官学校って言うぐらいだから楽しみが少なくてね。この昼食のカレーは本当に楽しみだったなぁ」
「みんな大抵これ以上は無理、って所までおかわりするから、午後最初の国文学の授業は教室中居眠りだらけだったよ」
「ある時なんか友達が『カレーに梅干しを入れたら美味くなるぞ』って言い出して、みんなで試してみたっけ。でも、あんまり美味しくはならなかったなぁ」
 よほど強い思い入れがあるのだろう。次から次へと、大神は昔の思い出話を語っていく。
 その話を頷き、微笑みながら聞くマリア。しかし、その瞳には、どこか哀しげな光が宿っていた――