○六月某日 天気:雨
 今日は雨です。
 昨日も雨です。
 その前の日も雨でした。
 きっと明日も雨でしょう。
 ……あーあ、あたし雨って大嫌い。
 だってじめじめするし、ちょっと憂鬱な気分にもなるし……。
 こんな日は、お客さんの入りも今イチです。
 でも、舞台が終わったあとのお客さんたちの顔は、なんだかとっても楽しそう。
「今日の舞台、よかったよな」
「ああ。よく知ってる話なんだけど、改めて観ると感動しちゃうよな」
「それに、あの主役の女の子も、随分とうまくなったしな」
「――真宮寺さくら、か?」
「そうそう、さくらちゃん! 可愛いよなあ、あの子。帝劇一だよ、まったく」
「お前この前まで、すみれさんが一番って言ってなかったか?」
「すみれさんも綺麗だけど、さくらちゃんはなんかこう……親しみやすさがあるよな。どこにでもいる女の子、って感じで」
「まあ、そりゃそうだな。すみれさんには一種近寄りがたい雰囲気があるよな」
「そう、そうなんだよ! すみれさんは上品すぎるんだよ!! やっぱこれからは、ごくごくふつーの女の子がいいんだよ、うん」
「……ころころ変わる奴だな、お前は……」
 ――なんて、お客さんたちの声も聞こえてきます。
 そう、先月から、さくらさんの人気は赤丸急上昇!なんです。
 先月の『愛ゆえに』も評判良かったけど、さくらさんが主役を務める今月の『シンデレラ』はさらに大評判!!
 観に来る人みなさん口々に
「シンデレラ役の娘は良かった」
って言っていくんですよ!
 だからプロマイドの売れ行きもすっごいの。
 あっという間に在庫がなくなっちゃった。
 花組のみなさんも、劇場の関係者の方々も、さくらさんの成長ぶりに驚き、そして喜んでいます。
 ただ一人、この人をのぞいては……。

 それは昼の部と夜の部の間の休憩時間、由里さんから借りた本を返しに行こうと、事務局に向かう途中でした。
 食堂の前にさしかかったとき、中からヒステリックな声が聞こえてきたの。
「――まったく、なんなんですの!? あのさくらさんの人気は!!」
 そぉっと中を覗いてみると、こちらに背を向けて、肩を震わせている女の人が……。
(あの紫の着物は……すみれさん?)
 すみれさんってあたしと同じ年の生まれなのに(そういってもすみれさんが一月生まれであたしが十二月生まれだから、ほとんど一年違うんですけどね)、すっごく大人っぽくて、あたしみたいな子供とは違うな……って、いつも思ってるんです。ま、それはともかく。
 そのままそっと見ていると、すみれさんは相変わらずあたしの方に背を向けたまま、
「ほんっと、みなさんどうかしてますわ! 一体あの田舎臭い小娘のどこがいいっていうのかしら!!
 おまけに! このわたくしが何で継母なんて憎まれ役を演らなくっちゃならないんですの!?
『悪役や憎まれ役は主役より難しいんだから、あなたの演技力を買ってこういう配役にしているのよ』なんてマリアさんは言ってましたけど、ふん! そんな詭弁にはだまされませんわ!!」
 拳を握りしめて叫ぶすみれさんに、何かとても怖いものを感じ取ったので、そのままそっと立ち去ろうとしたんです。
 でも。

 チーン!

 なぜか床に落ちてたスプーンを、知らずに蹴飛ばしてしまったの。
「――誰ですの!?」
 はっと振り向くすみれさんと、視線がびしっとあっちゃったんです。
「……椿、さん……?」
「は、はい……」
 覚悟を決めて、食堂の中に入っていった。
 すみれさんは、冷然とした顔で私を見て、
「今の話……聞いてましたわね」
「――はい」
言ってこくんとうなずきました。
(怒られる、かな?)
 そんな考えが頭をよぎって、思わず体をかたくしたの。
 でも、あたしの予想と違って、
「――丁度いいですわ。椿さん、今回の配役、どう思います?」
 そうすみれさんは聞いてきたの。
 ちょっとびっくりしたけど、すみれさんの真剣な表情を見ると、なんかちゃんと正直に答えなきゃ、って気持ちになってきて……。
「あ、あの……あたし、とてもいい配役だったと思います。確かにすみれさんは憎まれ役だったですけど、そういう役は逆にとても難しいし、舞台には必要なんだと思い――」
「そんなことはわかっています!!」
 すみれさんが突然上げた大声に、びくっ、って身をすくめてしまいました。
「わたくしが聞きたいのはそういうことではありませんわ! なぜわたくしが主役のスポットライトを浴びることができないのか、と聞いているのです!!」
「ですから、さくらさんの親しみやすいというか庶民的なところが、シンデレラみたいな薄幸の少女の役にぴったりあてはまるんじゃないかと……」
 そう言うあたしの方に、すみれさんはつかつかと歩み寄ってきて。
 あたしの目の前に来て、力一杯叫んだんです。
「じゃあなんですの? わたくしには薄幸の少女の役は似合わないとでも言うんですの? わたくしでは、そういった役で皆様に感動を与えることができないと言うんですの! わたくしが成金のお嬢様だから、だから、だから嫌味な役しか演じることができないって事ですの!?」
 あたしの着ている売店の売り子の法被の襟元を掴んで、すみれさんはまくしたてました。
 あたし、とてもすみれさんの顔を見ることができなくって、うつむきながら言ったんです。
「あたし……あたし、そんなつもりじゃ……」
「そんなつもりなかったとでも言いたいんですの? じゃあ、どういうつもりだったんですの!? 言ってみなさい!」
あたしすごく悲しくて、泣きだしたいくらいでした。
 確かに、すみれさんに対して失礼な事を言いました。でも、すみれさんが演技上手だって事、そしてとても人気があることは、みなさんも、もちろんすみれさんも知っていることなのに……。
 だからあたし、正直に言ったのに……。
「さあ、椿さん!」
 すみれさんがさらに詰め寄った、そのとき。
 廊下から、大神さんが入ってきたんです。
「どうした! すみれくんに……椿ちゃん!?」
 大神さんはあたしたちを見て、驚いたような顔をしました。
 だって、今あたしは、すみれさんに襟首を掴まれているんですもの。
「すみれくん、やめろっ!」
 大神さんはすぐにあたしたちの間に割って入りました。
 それを見たすみれさんは驚いた顔をして、そしてあたしを離して、
「……少尉……」
 そうつぶやいたんです。あたしはそのまま、へなへなと床に座り込んでしまいました。
 すみれさんはしばらく立ったままでしたが、そのうち廊下の方に歩き出しました。そして途中で立ち止まると、あたしに背中を向けたまま、
「椿さん。あなたはわたくしの心をズタズタに引き裂いてしまいましたわ」
 そう言い残して、食堂を出ていったんです。
 大神さんの制止も聞かずに。
「すみれくん! ……一体、どうしたってんだ?」
 すみれさんが食堂を出ていったあと、大神さんはあたしの方に近づいてきました。
 大神さんの顔を見たとき、あたし、なんだかほっとして、そして……。
 気がついたら、大神さんに抱きついて、わんわん泣いていました。
「……椿ちゃん……」
 そんなあたしを、大神さんは優しく抱きしめてくれました。

 それから、すみれさんとの仲はめっきり悪くなってしまいました。
 なんとか仲直りしようと思ったんですけど、すみれさん、あたしと顔を合わせるのをさけてるみたいで……。
 あたし……どうしたらいいんだろ。