1
夜がその闇を忘れてしまうかのようなまばゆい光が、舞踏会の会場である宮殿を包み込んでいた。
光源のもたらす幻想的な雰囲気と荘厳な音楽とが調和して、宮殿全体をこの世のものとは思えぬ不思議な場所へとしていた。
その宮殿のホールでは、数十組の男女が音楽に合わせて踊っている。
その中央に、ややとまどいがちに一人たたずむ女性に、ゆっくりと近付いていく男性が一人。
壮麗な飾りのついた王子の衣装をまとったマリアである。
「私と踊っていただけますか?」
「はい……喜んで……」
女性が声の主に向かって振り向く。
それは純白のドレスに身を包んださくらだった。
二人は近づき手を取り合うと、オーケストラの奏でる音楽に合わせてゆっくりと踊り出す。
全体の照明が少し落ち、かわりに二人をスポットライトが照らし出した。
一連の様子を物音一つたたさずに見つめる観客たち。
皆一様に夢うつつの表情で、二人の演技を見つめている。
そう。ここは舞踏会の開かれている宮殿などではなく、大帝国劇場の舞台の上。太正13年4月公演『シンデレラ』が上演されている真っ最中なのである。
「帝都復興記念」と銘打たれたこの公演は、大好評だった昨年6月公演のリバイバルである。黒之巣会および降魔との戦いで大打撃を受けた帝劇を仮修復しての緊急公演ではあるが、初日から連日満員の観客を集めている。
「ああ、時の過ぎるのが惜しい。いつまでも、永遠にこうしていたい……」
「王子様……」
舞台の上ではマリアとさくらが、ともに自らの思いを口にしながら踊り続けている。
その様子を舞台袖から覗いている人影が。
「すごく素敵ですね〜。マリアさんとさくらさん」
「そうね。ハマリ役ですもの、二人とも」
「さくらさんの演技も去年の公演よりずっと良くなってますものねー」
かすみ、由里、椿の三人である。
普段は芝居中でも事務局や受付、売店で働いている彼女たちだが、今回の公演では特別に舞台に出演しているのである。
「あーあ、あたしも着てみたいなー、あんなドレス」
「あたしは今回のドレスでもうれしかったですけど」
椿の言うドレスとは、中世貴族風のややピンクがかった色のドレスである。三人は舞踏会に参加している女性役で出演していた。
「なに言ってるのよ。シンデレラのドレスは別なの。他のドレスとは違う、特別な魔法がかかっているんだから」
そう椿に語る由里。その瞳は夢見心地に輝いていた。
「かすみさんもそう思いますよね?」
「えっ? ええ、そうね……」
由里に話を振られて慌てて答えるかすみ。
「そうしたんですか、かすみさん? 何だかぼーっとしてたみたいですけど」
心配そうに椿が顔を覗き込んでくる。
「何でもないの。ちょっと考え事してたから」
「そうですか……もしかして疲れてるんじゃないですか? 舞台と事務のお仕事の両方ですものね」
「そういう椿こそ、売店の方も忙しいんじゃないの? 今回もお客さんいっぱいなんだし……」
などと由里と椿が話している間も、かすみはぼんやりと舞台を眺めていた。
その視線の先――舞台中央には優雅に踊りつづけるマリアとさくらの姿が。
(二人ともすごく素敵ね……特にさくらさん)
踊りつづけているさくらの表情は、これ以上ないほどに輝いていた。
さらに、身にまとっているシンデレラのドレスがより一層さくらを際立たせている。
その光景に、おもわず息を呑むかすみ。
女性として生まれたからには一度は着てみたい。そう思わせるほどにすばらしいドレスだった。
(由里じゃないけど、私も着てみたいな……あのドレス。そして――)
『お前のその願い、かなえてあげよう』
不意に、どこからともなく年老いた女性の声が響いた。
「えっ!?」
かすみはあわてて周囲を見渡すが、声の主は見当たらない。
『私は魔法使いのばばさ。お前の心の声を、私の魔法で現実のものとしてあげよう』
再び声が聞こえると、かすみの体をまばゆい白光が包んだ。
「きゃあっ!!」
かすみは悲鳴をあげ、目を閉じてしまう。だが閉じた目蓋の向こうからでも光の強さが感じられる。
どれくらいそうしていただろうか。やがてあの老女の声が再び聞こえてくる。
『さあ、目を開けてごらん』
言われるままに目を開けると、かすみは舞台の中央に立っていた。
周りの照明は薄暗く、かすみにスポットライトがあたっている。
「何故ここに……あっ」
かすみは自分の格好を見て驚きの声をあげる。
いつの間にか、さくらが着ていたシンデレラのドレスを着ていたのである。
事態が飲み込めず立ちつくすかすみ。すると、どこからともなくオーケストラの音楽が聞こえてきた。
舞台で流れていた舞踏会の音楽である。
やがて辺りが明るさを帯びてくると、そこが舞台の上ではないことに気づいた。
大理石でできた飾りに、高価なじゅうたんが敷き詰められたホール。そして、音楽に合わせて踊る男女――シンデレラの舞台そのままの光景が、かすみの眼前に広がっていた。
「一体、どうしてしまったのかしら……」
わけもわからず、その場に立ちつくすかすみ。周りの人々は、そんなかすみに気を留めることなく踊り続けている。
そんな光景を見つめるかすみの胸の中を、寂しいものがすうと一陣の風のように通り抜けていく。
その時。
「あなたは……」
誰何の声に振り向くかすみ。
そこには、豪勢な身なりの青年の姿が。
その顔にかすみは見覚えがあった。
いや、忘れようとしても忘れることはできない、いとおしいあの人の姿――。
「大神さん!?」
そう。声を掛けてきたのは大神一郎その人であった。
「やっぱりかすみ君だったのか。探したよ、かすみ君」
「……私をですか?」
「ああ。一緒に踊ってもらいたくてね」
「えっ!? 私とですか!?」
驚くかすみに、大神は小さく頷くと、ゆっくり近付いてかすみの手を取る。
二人はそのまま音楽に合わせて踊り始める。
かすみはまだ状況を完全に把握したわけではなかった。それでも、大神の手のぬくもりを感じ、そして優しさに満ちた笑顔を見るうちに、すべてを委ねる気持ちになっていた。
やがて、大神がその手をかすみの両肩に置いた。真面目な表情でかすみをじっと見つめている。
かすみは顔を赤らめた。すでに頬を薄赤く染めていたが、大神の態度の変化に恥じらいがぱっと開いたようであった。
「かすみ君……」
大神が小さくその名を呟いた。その澄んだ黒の瞳に自分の顔が映っているのがはっきりとわかる。
次第に、瞳に映る自分の顔が大きくなっていく。
大神の顔が、ゆっくりと近付いてきていた。
同時に高鳴る胸の鼓動。
かすみはそっと両の瞼を閉じ、その瞬間を待った。
そして――