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普段はなかなか起きられないのに、どうして休みの日に限って早起きしてしまうのだろうか。俺はそんなことを考えながら、朝日差すテラスから外を眺めていた。
普段は服務規則に定められた時刻に起きなければならないが、規則は休日までは縛れない。だからもっと寝ていても良かった。
だが、七時に目が覚めた後、なぜだか目がさえてしまい、結局着替えて起きることにした。もちろん、みんなはまだ夢の中だ。
特に何をするわけでもなく、帝劇の中をふらついていたが、さすがにそれも飽きてきた。何せ毎晩見回りをしているところだ。特に異常が見られない限り、それは退屈なものに違いなかった。
結局、俺は一人寂しく外を眺めることにしたのだ。
朝食も済ませたことだし、今日一日何をしようか?
頭の中はそんな事でいっぱいだった。何の変哲のない平凡な日々。したいと思うことは何でも出来る。世の中は平和そのもの――
大通りを行き交う人たちを見ていると、だんだんとそんなことが浮かんでくる。
こんなに平和なのは、ひさしぶりだ。
去年の十一月に起きた『太正維新軍』によるクーデター事件。結局一日で鎮圧され、また黒鬼会もなりを潜めていたため、しばらくは平和な日々が続いた。
だが年明け早々、黒鬼会、そして京極慶吾が再び現れ、俺達は最終決戦に挑んだ。
王子での戦闘、「空中戦艦ミカサ」での戦い、『武蔵』への特攻、「鬼王」として操られていたさくらくんの父君、真宮寺一馬大佐との死闘、「二剣二刀の儀」、そして京極、いや『新皇』との決戦……
潮(うしお)のごとく襲ってきた敵に、俺達は休む間もなく戦った。
戦って、戦って、戦い抜いて――そして、勝利の時。
俺達帝国華撃団の正義が、邪(よこしま)なる悪の手から帝都を守ったのだ。
「そういえば、あれから一月も経ったんだな……」
今日は如月だというのにやけに暖かい。そんな陽気につられてか、普段よりも人通りの多い劇場前の道を見下ろしながら、思わず独り言をつぶやく。
みんなと戦ったあの日々が、走馬燈のように次々と浮かび、そして消えていった。
二年前、初めて帝劇に来たときは随分と不安がったりもしたが、今ではここにいるみんなが全員、家族のように思える。
かけがえのない時を過ごした俺達は、今、存分に平和を満喫している。
一体いつまで、こうしていられるのだろうか――
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
ともするとそのまま眠ってしまいそうだった俺の頭を、時計の鐘の音がたたき起こした。
鐘が九回鳴ったという事は、もう九時になったという事か。
「そう言えば九時から、舞台で稽古をすると言ってたな……」
そう。いよいよ来月から、帝国歌劇団の春公演が始まる。題目は『夢のつづき』。帝都の復興記念公演になるという。内容は……実は俺には知らされていない。なんでも公演が始まるまでのお楽しみなんだとか。まあ、舞台袖からこっそり覗けばわかってしまうんだが、どうやらみんなはお客さん、特に俺を驚かせようと何か考えているようなので、知らないままでいることにした。一体何をたくらんでいる事やら。
「さて、そろそろ部屋に戻るとするかな」
そう言って中に入った、丁度その時だった。
「大神さーん」
「あっ、いたいた。ねえねえ、みんなこっちよー」
「待ってくださあい、大神さーん」
後ろから若い女性の声が聞こえてきた。花組のみんなは稽古をしているはず。と、いうことは……
俺は立ち止まってから後ろを振り向き、声の主を確認した。
やっぱり。こちらに向かって来ている三人の女性は、かすみくん、由里くん、椿ちゃんだった。
俺はその場で待っている事にした。するとものの十秒もしないうちに彼女たちはやってきた。
かすみくんは紫苑色の着物、由里くんはバスガイド風の洋服、そして椿ちゃんは法被姿と、三人ともいつもの格好だ。休日とはいえ、いろいろと仕事があるのだろう。
走ってきたため、三人とも肩で息をしている。俺は少し待ってから、彼女たちに声をかけた。
「どうしたんだい、そんなに急いで」
「い、いや、別に急ぎの用、ってわけじゃないんですけど……」
かすみくんが応える。なんだか少し緊張しているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「……ねぇ、由里、椿?」
「えっ? そ、そうですねー」
「でも、やっぱり早めの方が……」
かすみくんの言葉に由里くんと椿ちゃんが応えるが、二人もなんだかぎこちない。一体どうしたというのだろうか。
「……いい、みんな『せーの』でいくわよ」
「はいっ」
小言で話し合う三人。はたして何が始まるのだろう。
一つ息をして、かすみくんが言う。
「……それじゃ、せーの」
『大神さん、お誕生日、おめでとうございます!!』
三人一緒に言ったと同時に、俺の前に小さな紙包みが出される。
誕生日……だって!?
突然のことにただただ立ちつくすだけの俺に向かって、彼女たちはめいめいに声をかけてくる。
「あっ、突然お誕生日おめでとう、なんて言われても困っちゃいますよね」
これは椿ちゃん。
「そうそう。だって、大神さんの誕生日は一月三日。もう一月も前に過ぎちゃってますものね」
由里くんがそう言ってうなずいている。
「ごめんなさい大神さん。本当はもっと早く渡したかったのですけど……」
かすみくんが申し訳なさそうに言う。
「一月はあんな事が起きてしまいましたから」
かすみくんの言う『あんな事』とは、黒鬼会や京極との決戦のことだ。奴らは正月ムードまっただ中の帝都に『武蔵』を復活させたのだ。
事後処理やら何やらが忙しく、俺はその後も自分の誕生日のことをすっかり忘れていたが……彼女たちはしっかり覚えてくれていたのか。
ありがたさと申し訳なさと恥ずかしさが急にこみ上げてきて、俺は少しうつむき加減になってしまった。と、かすみくんの両手に収まっている緑色の紙包みが目に入った。これは俺へのプレゼント……なんだろうか。
「あ、これ、私たちからのプレゼントです。受け取って下さい」
俺の視線に気づいたのか、かすみくんが紙包みを差し出してくる。俺は「ありがとう」と言ってそれを受け取った。
「ねえねえ大神さん。あけてみて下さいよ」
「ちょっと由里、別にここであけてもらわなくったって……」
「えー、でもどうだか気になるじゃないですか。かすみさんだってそうでしょ?」
「それはそうだけど……」
「椿もそうよね?」
「あの、えーと……はい」
「これで決まったわ。大神さん、遠慮せずにあけてみて」
「は、はい」
急に話を振られて、俺は反射的にそう答えてしまった。そして、紙包みをあけ、中身を取り出した。
中には、長方形の箱が入っていた。この箱の中身がプレゼントなんだろう。
三人の期待といくらかの不安に満ちた視線を受けながら、俺は箱のふたを開いた。
中には、一本のネクタイが入っていた。丁度今日の帝都の空と同じ、透き通るような水色のネクタイが。
「あたしたち三人で選んだんですけど、どうですか?」
「大神さんって、いつも同じモギリ服だから。ネクタイぐらいかえないと、おしゃれじゃないですよ」
椿ちゃんと由里くんがそう言ってくる。かすみくんは黙って俺を見つめていた。
俺は今している緑色の(大分着け古して色あせている)ネクタイの上からプレゼントの水色のネクタイをあててみた。
「どう、似合うかな?」
俺がそう言うと、三人はわあっと歓声を上げた。
「よくお似合いですよ、大神さん」
「なんだかいつもより男前があがったみたいですねー」
「……よかった、気に入ってもらえたようで」
三人ともほっとしたような、嬉しいような……とにかく、今まで見た中でも最上の笑みを浮かべていた。
そんな彼女たちを見ていると、こちらもなんだか嬉しいような、可笑しいような気持ちになり、いつの間にか声を出して笑っていた。
「ふふふっ」
「アハハハハ」
「ハハハハハハハハハ」
気が付けば、四人揃って大声で笑っていた。