<す> (登録人数:13人)須賀弥太郎【すか・やたろう】 ?〜1221
埼玉郡須賀(行田市須加)の住人。鎌倉幕府の御家人。承久の乱のとき宇治川で戦死。須加土佐【すか・とさ】 ?〜1440
須加城主(行田市須加)。室町幕府に仕える。永享の乱鎮圧後の永享12年(1440)、足利持氏の臣一色伊予守が須加城に来襲、土佐はよく防戦したが郎党とともに討死した(「鎌倉大草紙」「鎌倉九代後記」)。菅原直則【すがわら・なおのり】 生没年不詳
羽生城主木戸忠朝に仕える。主家と行動と共にする。杉浦定政【すぎうら・さだまさ】 生没年不詳
徳川家康の臣。父は美濃竹ヶ鼻城主杉浦定元。慶長13年(1608)より葛飾郡大川戸(北葛飾郡松伏町大川戸)の代官を勤める。須黒恒高【すぐろ・つねたか】 生没年不詳
村山党。入間郡勝呂村(坂戸市石井)に居を構えた。勝呂豊後守【すぐろ・ぶんごのかみ】 生没年不詳
戦国時代の人物。入間郡勝呂(坂戸市石井)に勢力を保持していた。鈴木荘丹【すずき・そうたん】 1732〜1815 84歳
荘蔵。江戸の札差荘兵衛の子。医学と俳諧を学び、足立郡与野町(与野市)に居を構えて子弟の教育にあたった。また新興宗教大道教の根本を作った人物とされ、その教えは弟子の高柳文献によって宗教化された。強矢良輔【すねや・りょうすけ】 1795〜1876 82歳
武行、武甲斎。秩父郡藤倉村強矢(秩父郡小鹿野町藤倉)の生まれ。逸見義年に甲源一刀流を学び、門人で唯一一流の印可を授けられたという。のち江戸四谷伝馬町に道場を開き天真武甲流と称して門人2000人を超えたという。諏訪右馬亮【すわ・うまのすけ】 生没年不詳
入間郡に拠った土豪。寺尾(川越市寺尾字川原)に寺尾城を築く。諏訪七右衛門【すわ・しちえもん】 生没年不詳
戦国末期の部将。永田城主(秩父市寺尾)。諏訪部定勝【すわべ・さだかつ】 1536〜1588 53歳
主水、遠江守。定久の子。後北条家家臣。初め氏政、のち氏邦に仕え、鉢形城の支城日尾(秩父郡小鹿野町日尾)城主となる。諏訪部定吉【すわべ・さだよし】 生没年不詳
宗右衛門。定勝の子。後北条家家臣。日尾城主(秩父郡小鹿野町日尾)。諏訪頼忠【すわ・よりただ】 1536〜1605 70歳
小太郎、安房守。従兄弟の諏訪頼重が武田信玄に滅ぼされたのちに流浪。1582年武田家が滅ぶと信濃高島城に入り、翌年家康に臣従した。1590年嫡子頼水を頼って武蔵へ移り、羽生、奈良之梨(小川町奈良梨)、蛭川(児玉町蛭川)1万2千石を賜って奈良梨藩を興す。1592年上野総社に転封。