●前田秀継(?〜1585)  [from:戦国群雄伝]

 今回登場の前田秀継はあの前田利家の弟である。利家・秀継の父利昌には6人の男子がおり、長男はあの前田慶次の養父利久、4男が利家、末っ子の6男が秀継である(系図参照)
 生年は不明だが、兄利家が1538年に生まれ、父利昌が1560年に亡くなっているので、その間に生まれたことになる。おそらく幼少時から利家の側に仕えていたと思われるが、1584年まで全く史料に登場してこないのである。
 本能寺で織田信長が凶刃に倒れた後、後継者として勢力を強めていく羽柴秀吉を快く思わなかった佐々成政(越中富山城主)は、親秀吉派であった隣国能登を治める前田利家を倒すべく、1584年能登末森城(城主奥村助右衛門)を奇襲した。この時、佐々方の武将、佐々平左衛門を敗走させる軍功を挙げたのが秀継であった。その後秀継は越中まで攻め入って佐々軍を討ち、翌年戦功により佐々平左衛門の居城であった越中木舟城(富山県西礪波郡福岡町)を利家から賜り、妻子を連れて移住した。
 こうして遅咲きながらも一城の主となった秀継は、以後前田軍の中核武将として活躍していく……はずであった。が、悲劇は突然訪れるものである。
 No.003で紹介した内ヶ島氏理の帰雲城を一夜で滅ぼした大地震をご記憶だろうか。発掘調査により液状化現象が認められたほどの大規模な地震(最低でも震度5クラス)は、帰雲城だけでなく城主になってまだ1年と起っていない秀継の木舟城へも容赦なく襲いかかってきた。

木舟の城を三丈ばかりゆりしづめたり、家たふるる事数しらず(『三壺記』)」

 という記録が残っているように、木舟の城と城下町も一夜のうちに地中深くに埋没してしまったのである。そして秀継とその妻も城と運命を共にしたのである。ちなみに、この地震は秀継が木舟明神の御神体を濠に投げ込んだ祟りであるという言い伝えがあるが、真偽のほどは定かではない。
 なお、来年(2002年)のNHK大河ドラマは『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』であるが、果たしてこの秀継夫妻と木舟城埋没のエピソードは語られるのだろうか?

シナリオ所属国身分年齢政治戦闘魅力野望忠誠部隊
2;信長の野望能登現役(織田家)453257313982騎馬隊


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