今回登場の足利義栄は室町幕府14代将軍である。つまり厳密な意味ではマイナー武将ではない。しかし、『信長の野望』シリーズには過去「天翔記」にしか登場していない。つまり、このコーナーで取り上げる条件はしっかりとクリアしているのだ。
義栄の父は義維といい、11代将軍足利義澄の長男である。当然次代将軍職を継ぐ立場であったが、実際に12代将軍となったのは弟の義晴だった。これは当時の管領細川高国が強く要望したためと言われている。が、大永7年(1527)義晴と細川高国が三好元長との合戦に敗れ、近江の朽木谷へ逃亡するという事件が起きる。そこで次期将軍候補として担ぎ出されたのが義維である。
しかし、義維は京都ではなく堺に本拠地をおいた。そのため義維を「堺公方」だの「堺大樹(将軍)」だのと呼んでいる史料もある。また義晴の朽木谷逃亡以後、幕府の支配文書として効果を発揮していた管領代奉書が一枚も発給されていない事実を挙げ、「義晴の亡命幕府は政権としての機能を果たしておらず、この時は実質足利義維を将軍とする堺幕府の存在があった」とする学説があるのである。
この堺幕府は享禄5年(1532)の堺顕本寺合戦で三好元長が戦死し、義維が淡路へ逃れた時点で瓦解したとされている。義維はさらに2年後阿波へ移るが、そこで生まれたのが義栄である。義維は義栄を将軍にさせるためあれこれ企てるが、いずれも失敗に終わっている。そこに13代将軍足利義輝が三好三人衆や松永久秀に殺害されるという事件が起こる。義栄は三好三人衆に擁立されて、将軍になるべく京都へ向かったのである。
だがそこに強力なライバルが登場する。義輝の弟の義昭が、織田信長の後ろ盾を得て上洛する準備を始めたのだ。あせった義栄は何度も将軍宣下の願いを朝廷に願い入れ、永禄11年(1568)2月8日、ようやく念願の将軍となれたのである。
しかし喜んだのもつかの間、同じ年の9月、義昭と織田信長がいよいよ上洛してきた。義栄は雌雄を決すべく三好一党とともに摂津に布陣したが、腫れ物を患って同月あっけなく病死した。享年31歳。ちなみに父の義維は息子よりも長生きし、天正元年(1573)年、室町幕府滅亡の年に65歳で亡くなった。
登場年 | 政才/得 | 戦才/得 | 智才/得 | 兵科特性 足軽/騎馬/鉄砲/水軍 | 技能 | 魅力 | 野望 | 義理
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1554 | 100/C | 54/C | 30/C | E/E/E/E | (無し) | 100 | 21 | 8
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