サクラ大戦4小研究


 果てしないご無沙汰でございます。成山和尚でございます。
 さてさて、皆様先刻発売された『サクラ大戦4〜恋せよ乙女〜』遊んでますか〜? 一時12人の妹との生活に心奪われていた自分ではありますが、しかし根っからのサクラ好きである血はごまかせず、しっかり発売日に初回限定版をゲットしてまいりました。
 今回は舞台を帝都に戻したということで、再び日本史にかかわる設定が登場してまいりました。となるとここは一発調べてみないと気がすまないのが私の悲しいサガ(;´д`) な訳ですので、しばし私の趣味にお付き合いくださいませ。

●時間の流れはどうなってるのでしょう?
 前作『サクラ大戦3〜巴里は燃えているか〜』では明確な設定がなかなか登場せず、背景も見えづらかったために時系列の整理をとっととあきらめていたわけですが、さて『4』ではどうなのでしょう。
 結論から先に言いますと、時間の流れをつかむのは無理。以上。

 ……という訳にもいかないですが(^^;;;)、今作はボリュームも「2時間スペシャル番組のようなもの」と脚本家が明言しているようにちと短めです。その中で今までのような時間の流れを出すのは無理というものでしょう。ゲーム上で流れている時間はおそらく1ヶ月もないはずです。
 で、ゲーム中でかえでが「約1年ぶりの帝都は……」と大神に語っているところからみると、『2』のラストで大神が巴里へ旅立った太正15年3月から1年後の太正16年3月ごろ、ということになるでしょう。
 また講談社刊『サクラ大戦4〜恋せよ乙女〜花組浪漫画報』には「あぁ、無情」の公演日を大正16年4月としており、おおよそこの時期と見て間違いはないようです。

●ラスボス・大久保長安って何者?
 今まで続いたサクラ大戦シリーズ。その最後を彩るラスボスは――!?
 ……と、盛り上がったところで登場してきたのがこの大久保長安――正直、あまりの小物っぷりに拍子抜けしました(;´д`)
 戦国史好きなら一度は聞いたことがあるであろう名前ですが、ここで少し詳しくその経歴を見てみたいと思います。

 徳川家康のブレーンとして有名な長安ですが、元々はあの武田信玄に仕えていました。父の名は金春七郎喜然、またの名を大蔵大夫という猿楽師です。
 さていきなり登場してきましたキーワード、猿楽金春です。猿楽は能楽の大元となった(厳密にはちょっと違いますが)古典芸能で、古くは奈良時代から行われていました。これを観阿弥・世阿弥が室町初期に大成させたのがいわゆる能楽です。観阿弥・世阿弥は大和猿楽四座の観世座出身ですが、この観世座と並ぶ勢いを示していたのが金春座でした。
 大蔵大夫は武田家家臣団では猿楽衆に属していました。『甲陽軍鑑』所収の『武田法性院信玄公御代惣人数之事』という家臣団一覧表にも「猿楽衆 観世大夫、大蔵大夫」と記されています。幼名を藤十郎といった長安も猿楽師として信玄に仕えました。
 しかし、信玄によって才能を見出された藤十郎は土屋姓を名乗り、年貢の課徴・金掘りを司る蔵前衆に抜擢されました。一介の猿楽師から武士へと出世したわけですね。ここで藤十郎は類稀な鉱山技師として、また優秀な官僚として武田家を支えていったのです。
 そんな武田家も1582年織田信長によってさっくり滅ぼされると、藤十郎は金春大夫と名を変え再び猿楽師となり、徳川家康に仕えることになります。出世の道が閉ざされたかに見えた藤十郎ですが、青山藤蔵の仲介により伊豆金山の採掘を行った藤十郎は採れた金を家康に献上。これに喜んだ家康は藤十郎を重臣大久保忠隣に預けることにします。ここで忠隣により大久保の姓を与えられ、晴れて大久保十兵衛長安と名乗ることになったのです。
 それからの長安はその才能を余すところなく発揮。のちの江戸幕府繁栄の基礎を築くことになります。一例を挙げると伊豆・佐渡・石見など各地の金山銀山を開発して年間生産量を飛躍的に増大させたり、五街道の道筋に一里塚を設けたり、伝馬制度を確立させたり、各地を検地して廻ったりととにかく幕府初期の政治経済に多大な功績を残したのです。
 1603年には従五位下石見守に任じられると、その権勢はますます増大し、甲斐・駿河・大和・佐渡の幕府直轄地の経営を任せられるようになります。世の人々からは「天下の総代官」とまで呼ばれるほどでした。
 そんな絶頂期のさなかの1613年、長安は敢無く病没してしまいますが、その死後、生前に不正があったとしてお家断絶の上7人の子供たちが全員切腹、連坐して大久保忠隣も改易されてしまいました。さらに長安の墓は暴かれ死体が磔にされるという、異様な処罰が下されたのです。原因は長安と長安が家宰を勤めていた家康の六男・松平忠輝、そして忠輝の岳父である伊達政宗による幕府転覆計画が発覚したからだとか、忠隣と本多正信の権力争いに巻き込まれただとかさまざまな説がありますが、真相は明らかにはされませんでした。

 以上、長々と長安について語ってきましたが、さてサクラとの関わりというと――やはりゲーム中でも語られている通り、自らが繁栄の基礎を作り上げた江戸の町、そして江戸幕府から裏切られるような仕打ちをとられたこと、でしょうか。また銀座と金春座との関係からも長安の姿が浮かび上がります。金春座は1627年に京橋竹川町に屋敷を構えますが、ここは現在の銀座7丁目のうち中央通り両側の部分になります。これで銀座と長安も結びつきますね。
 いやあしかし、こうしてみてみると長安って結構大人物だったんですなぁ(;´д`) 『信長の野望』なんかだと政治智謀に優れているだけのあまり使えない武将だったのでついつい小物扱いしてしまいましたが、これは認識を改めなければいけませんね。

 [おまけ]長安あれこれ
 「長安についてもっと知りたい!」という方に、長安に関連するあることないことをお教えしましょう。

・長編時代小説『講談大久保長安』上下巻/光文社文庫
 半村良氏による大久保長安伝。私は読んだことないのでこれ以上詳しくは書けません(^^;;)

・『銀河忍法帖』『忍法封印いま破る』/講談社ノベルズスペシャル
 山田風太郎先生による大久保長安伝説。というか山田風太郎節炸裂の設定は必見……らしい。いや、これも読んだことないので(;´д`)

・大久保長安に会いたい人は
 伊豆にある「土肥金山資料館」には長安の等身大電動人形が展示されています。長安ファンはぜひ訪れてみてください。また山梨の武田神社宝物館には長安の物と伝えられる鎧兜が、また長安の領地だった八王子にも多くの遺跡が残されています。

・大久保「ながやす」?「ちょうあん」?
 今までずっと「おおくぼちょうあん」と読んでいたのですが、『サクラ4』では「ながやす」で統一されていましたね。ちょっとびっくりしました(^^;;) 一体どちらが正しいのでしょう〜?
 って別にどちらでもいいんですけどね(笑) 手元にある角川の日本史辞典は「ながやす」ですし、コーエーのとある本には「長安を『ながやす』と読むようでは通とはいえない」などと書かれてたりします。

●サクラ大戦4関連年表

西暦(年) 和年号 月日 出 来 事
1545 天文14
大久保長安、誕生
1600 慶長5
長安、奈良奉行となる
1603 慶長8
長安、石見銀山・佐渡金山の奉行となる

長安、石見守となる
1612 慶長17
江戸京橋南部に銀座ができる
1613 慶長18 4/25 大久保長安、死去
5月 大久保長安の遺児に切腹が命じられる
1627 寛永4
金春一族に京橋竹川町が与えられ、金春屋敷が建てられる。
1800 寛政13 6/26 銀座が京橋竹川町から日本橋蛎殻町へ移転する
1869 明冶2
新両替町を銀座と改名。現在の銀座1〜4丁目となる。このころ5〜6丁目は「尾張町」と呼ばれていた
1926 太正15 4/1 空中戦艦ミカサ、帝劇地下格納庫にて封印される
10月 帝国歌劇団花組公演「海神別荘」公演
1927 太正16 1月 帝国歌劇団花組公演「海神別荘」再演
2月 光武二式完成
4月 帝国歌劇団公演「あぁ、無情」公演


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