凡例


一、 当サイトは、埼玉県に居住・生存したおよび深く関係があると思われる武士の事績について編集したものである。


二、 出典は基本的に本文中に示した。ほかの参考文献は[参考文献]にまとめて掲載した。


三、 当サイトは「武将名鑑」と銘打ってあるので、武士のみの掲載でも良いと思われたが、編者の独断と偏見、および個人的趣味により武士以外の人物も掲載することとなった。掲載数が少ないよりは充実するので、特に文句を言う人もいないと思うが、もし何かあるようならこの場で陳謝すると共に、ひらにご容赦願いたい。


四、 地域名、藩名、城名の前には基本的に国名を付記した。ただし、埼玉県内の地名などに関してはこの限りではない。


五、 各項目の見方は次の通りである。

(A)熊谷直実(B)【くまがい・なおざね】 (C)1141〜1208  68歳
 (D)次郎。直貞の子。保元・平治の乱では源氏方として参陣するが、源氏離散後平知盛に仕える。源頼朝が旗揚げし、武蔵に入国するとこれに従い、源平の争乱の数々の戦いで活躍。とくに一の谷合戦では須磨浦(兵庫県神戸市須磨区)で、息子の小太郎直家と同い年に見える敵将平敦盛の首を泣く泣く討ち取った場面は、「平家物語」のなかでも有名な場面である。一方、叔父の久下直光との所領争いに敗れ、伊豆や京都を転々とし、最終的に法然に帰依し、出家した(E)(「平家物語」「吾妻鏡」「熊谷家文書」)。

  • (A)名前……人物の名前。基本的に実名で表示。
  • (B)読み方……不明な場合は一般的な読み方に準拠。
  • (C)生没年、享年……不明の場合は「?」もしくは「生没年不詳」、諸説ある場合はカッコにて並列表示。享年は数え年で計算。
  • (D)本文……はじめに幼名、別称、官職名、号、通り名等を表示。
  • (E)所見文献……事績について記されている古文書等。
六、 編集の都合上、あるいは特殊な効果を意図して、以上の凡例に従わない場合がある。



七、 とりあえず、ここまで読んで頂いたことに感謝します。続いて本文もお楽しみください。