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毛利丹後守【もうり・たんごのかみ】 生没年不詳
 上杉謙信の臣。石戸城将(北本市石戸宿)。永禄5年(1562)石戸城は北条氏邦によって落される。

桃井可堂【ももい・かどう】 1803〜1864 62歳
 榛沢郡北阿賀野村(深谷市北阿賀野)の生まれ。東条一堂に学び、一堂門の三傑と称された。その後備中庭瀬藩板倉家に仕えながら、徐々に尊皇攘夷の思想を固めていった。61歳の時中瀬村(深谷市中瀬)に居を構え、新田氏の末裔岩松俊純を盟主とする慷慨組を結成、挙兵を画策したが密告などにより失敗。可堂は川越藩に自首し、自ら食を断って翌年獄死した。

師岡山城守【もろおか・やましろのかみ】 生没年不詳
 実名不詳。後北条家家臣。他国衆の1人。高麗郡柏原(狭山市柏原)で45貫を領していた(「役帳」)

毛呂季清【もろ・すえきよ】 生没年不詳
 藤原季仲の子。入間郡毛呂郷(入間郡毛呂山町毛呂本郷)に居住し、毛呂氏の祖となった。

毛呂季綱【もろ・すえつな】 生没年不詳
 太郎。鎌倉幕府の御家人。建久4年(1193)比企郡泉(比企郡滑川町和泉)の地を与えられた(「吾妻鏡」)。