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新方頼希【にいがた・よりのり】 生没年不詳
 埼玉郡向畑(越谷市向畑)に陣屋を構えた。永正元年(1504)八条惟茂に陣屋を奪われる。

新里光明【にいさと・みつあき】 生没年不詳
 四郎。丹党。鎌倉後期の人物。新里郷(児玉郡神川村新里)の領主。

二階堂土佐守【にかいどう・とさのかみ】 生没年不詳
 鎌倉中期の人。柏の城(志木市柏三丁目)に居城したと伝えられている。

西尾吉次【にしお・よしつぐ】 1529〜1606 78歳
 小三郎、小左衛門、隠岐守。初め織田信長に仕え、3千石の知行を有していた。天正10年(1582)、徳川家康が堺の町を遊覧した時、饗応役を命じられるが、本能寺の変が勃発すると家康を護衛しながら伊賀越えを決行、その後は家康に仕える。家康の関東入国の際、足立郡原市(上尾市原市)周辺に5千石を賜り、九戸一揆、関ヶ原などで活躍。慶長7年(1602)美濃国内に7千石加増され原市藩初代藩主となった。

西尾忠永【にしお・ただなが】 1584〜1620 37歳
 主水、丹後守。酒井重忠の3男。吉次の養子。原市藩1万2千石の藩主。関ヶ原、大坂の陣に従軍。元和2年(1616)上野白井、同4年常陸土浦に転封となった(「寛政重修諸家譜」)。

西沢曠野【にしざわ・こうや】 1743〜1821 79歳
 万二、義右衛門、周、子邦。足立郡与野村(与野市)の人。児玉南珂、細井平州に師事した。実家の農業と質屋を継いだが人道に反するとして質屋は廃業。染物屋や私塾を営み、子弟の教育や貧民の救済に尽くした。名利を求めず郷里のために尽くし、尾張藩より求めがあっても応じなかったという。医学も修めた曠野は地元の人々に「与野聖人」と呼ばれ、その徳を尊ばれた。

新田又七郎【にった・またしちろう】 生没年不詳
 実名不祥。後北条家家臣。御馬廻衆の1人。川越三十三郷上戸(川越市上戸)で20貫300文を領していた(「役帳」)。

新田義重【にった・よししげ】 1135〜1202 68歳
 新田氏祖。源義国の子。上野国新田郷にて広大な私領を開発し勢力を伸ばした。源平合戦では源頼朝につき、治承5年(1181)に埼玉郡糯田郷(行田市持田)の郷司に補せられた。

二宮播磨【にのみや・はりま】 生没年不詳
 実名不祥。後北条家家臣。小机衆の1人。入東郡青柳(狭山市青柳)で17貫の知行を得ていた(「役帳」)。