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久下直光【くげ・なおみつ】 生没年不詳
 熊谷直実の叔父。幼くして父を失った直実を養育したが、のち直実と所領争いをし、勝利した。

熊井忠基【くまい・ただもと】 生没年不詳
 太郎。比企郡に拠った土豪。熊井(比企郡鳩山町熊井)に熊井城を築いた。

熊谷直家【くまがい・なおいえ】 生没年不詳
 小太郎。直実の長男。父とともに源平合戦で活躍。父の出奔後も鎌倉幕府に仕え、大里郡熊谷郷(熊谷市)20町を領した。承久の乱では北条時房に従い戦功をたてた。

熊谷直国【くまがい・なおくに】 ?〜1221
 平内左衛門。直家の子。父とともに承久の乱に出陣するが瀬田の戦で戦死。

熊谷直貞【くまがい・なおさだ】 ?〜1142
 次郎大夫。桓武平氏。平盛方の子。熊谷氏の祖。

熊谷直実【くまがい・なおざね】 1141〜1208  68歳
 次郎。直貞の子。保元・平治の乱では源氏方として参陣するが、源氏離散後平知盛に仕える。源頼朝が旗揚げし、武蔵に入国するとこれに従い、源平の争乱の数々の戦いで活躍。とくに一の谷合戦では須磨浦(兵庫県神戸市須磨区)で、息子の小太郎直家と同い年に見える敵将平敦盛の首を泣く泣く討ち取った場面は、「平家物語」のなかでも有名な場面である。一方、叔父の久下直光との所領争いに敗れ、伊豆や京都を転々とし、最終的に法然に帰依し、出家した(「平家物語」「吾妻鏡」「熊谷家文書」)。

熊沢忠勝【くまざわ・ただかつ】 生没年不詳
 岩槻藩士。高力清長に仕える。岩槻藩浦和領の幕府代官を勤める。

久米逸淵【くめ・いつえん】 1790〜1861 72歳
 児玉郡八幡山(児玉町八幡山)の生まれ。若くして俳諧の世界に入り、郷里や上州高崎などで活動した。小林一茶の『おらが春』に序文を寄せたことで有名。

久米玄蕃【くめ・げんば】 生没年不詳
 実名不祥。後北条家家臣。御馬廻衆の1人。相模東郡・河越筋森戸(坂戸市森戸)で101貫67文を領していた(「役帳」)。

黒沢翁満【くろさわ・おきなまろ】 1795〜1859  65歳
 八左衛門、重礼。国学者、歌人。重孝の子。伊勢桑名の生まれ。藩主松平忠尭のもと御旗奉行、のちに忍藩藩校進修館教授となる。賀茂真淵に傾倒し国学を学び、また戯作者としても山東京伝を驚かすほどの才を見せたという。晩年は大坂蔵屋敷に在勤の傍ら国学を教え、門人は数百人ともいわれる。著書は『葎居前集』『葎居集』などの家集、『源氏百人一首』などの歌学書、『言霊のしらべ』『消息案文』などの国語学、さらには攘夷思想を紹介解説した『異人恐怖伝』など多数にわたる。

黒沢民部【くろさわ・みんぶ】 生没年不詳
 実名不祥。宮崎城主(秩父市大野原)。

黒沢義政【くろさわ・よしまさ】 生没年不詳
 武蔵守。三ヶ尻城主(熊谷市三ヶ尻)。

黒須平内五郎【くろす・へいないごろう】 生没年不詳
 戦国前期の人物。埼玉郡黒須(蓮田市閏戸)に居を構えた。

黒須八邦左衛門【くろす・やくにざえもん】 生没年不詳
 菖蒲城主佐々木氏綱の臣。埼玉郡黒須(蓮田市閏戸)に居住していた。

黒谷国時【くろや・くにとき】 生没年不詳
 大河原秋時の子。秩父郡黒谷(秩父郡秩父市黒谷)に居住したため、黒谷姓を名乗った。

桑原弥七郎【くわばら・やしちろう】 生没年不詳
 実名不詳。後北条家御馬廻衆の一人。相模二宮の関所を管理していたとされる。川越伊豆丸(比企郡川島町出丸本、出丸中郷、出丸下郷、上大屋敷、下大屋敷、曲師、西谷)等に230貫を領していた(「役帳」)