<き>  (登録人数:10人)

菊地菊城【きくち・きくじょう】 1785〜1864 80歳
 埼玉郡台村(菖蒲町台)の人。山本北山に学ぶ。諸国を歴訪し、各地に私塾を建て子弟の教育に努めた。嘉永年間血洗島村(深谷市血洗島)に私塾本材精舎を開く。

木戸重則【きど・しげのり】 生没年不詳
 忠朝の子。父と行動を共にし、上野へ逃れる。

木戸忠朝【きど・ただとも】 ?〜1574?
 伊豆守、監物、玄斎。河田谷右衛門大夫。憲実の子。羽生城主(羽生市東五丁目)。初め古河公方足利義氏に仕える。天文21年(1552)後北条氏に羽生城を攻略されるが、永禄3年(1560)上杉謙信が武蔵に侵攻してくるとこれに呼応、羽生城を奪回した。以後謙信の麾下に入り、羽生城には兄の広田直繁が入り、自身は皿尾城(行田市皿尾)に入った。その後羽生城に戻るが、謙信は羽生が越後から遠いことを懸念して城主忠朝以下城兵千余人を上野膳城に移した(「小田原旧記」)。

木部行兼【きべ・ゆきかね】 生没年不詳
 次郎。猪俣家兼の子。児玉郡木部(児玉郡美里町木部)に居を構えた。木部氏祖。

木村友三【きむら・ともぞう】 1821〜1893  73歳
 政順。児玉郡秋山村(児玉郡児玉村秋山)の農民の子として生まれ、同郡新宿(神川村新宿)の木村利左衛門の養子となる。神武一刀流の月岡義宣に師事し、免許皆伝を得る。郷里新宿村を領有していた久留里藩主黒田直和に召し出され15人扶持を給され、上野・武蔵国内の久留里藩料38村の取締役を務めた。

行田助忠【ぎょうだ・すけただ】 生没年不詳
 成田助広の子。行田氏を名乗る。

行田兵衛尉【ぎょうだ・ひょうえのじょう】 ?〜1221
 行田の住人か。承久の乱のとき宇治川で戦死(「東鑑」)。

行田道忠【ぎょうだ・みちただ】 ?〜1221
 助忠の子。承久の乱のとき宇治川で戦死。

吉良亀松【きら・かめまつ】 生没年不詳
 実名不詳。足利氏族吉良氏か。文保元年(1317)幕府より新倉郷(和光市新倉)700貫を安堵された。

木呂子丹波守【きろこ・たんばのかみ】 生没年不詳
 実名不祥。後北条家家臣。秀吉の小田原征伐の時に松山城副将。