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渡辺華山【わたなべ・かざん】 1793〜1841 49歳
 本名登。三河田原藩士。画家にして蘭学者であり、高野長英らと尚歯会を結成した。天保2年(1831)藩主の命で旧田原藩領であった埼玉郡三ヶ尻(熊谷市三ヶ尻)を訪れ、龍泉寺に逗留して同地を調査し、同寺に幾枚かの絵画を書き残している。蛮社の獄により弾圧された後、自害。

渡辺邦蔵【わたなべ・くにぞう】 1808〜1854  47歳
 邦伸。葛飾郡西大輪村(北葛飾郡鷲宮町西大輪)の農民の出。神道無念流を学び、41歳のとき免許皆伝を得る。

渡辺正次【わたなべ・まさつぐ】 生没年不詳
 岩槻藩士。阿部正春の命により、岩槻城下で「時の鐘」を鋳造している。

渡辺方綱【わたなべ・まさつな】 1640〜1680 41歳
 半助、越中守。吉綱の3男。野本藩1万3500石の藩主。

渡辺基綱【わたなべ・もとつな】 1665〜1728 64歳
 尾張藩士渡辺長綱の子。野本藩主渡辺方綱の養子となり、跡を継ぐ。元禄11年(1698)和泉大庭寺藩に転封となり、野本藩は廃藩となった。

渡辺守綱【わたなべ・もりつな】 1542〜1620 79歳
 半蔵、忠右衛門。高綱の子。徳川家康の臣。武勇にすぐれ、「槍の半蔵」の異名を取る。長久手合戦の時旗本足軽頭。天正18年(1590)比企郡内に3千石を与えられる。慶長18年(1613)より尾張藩主徳川義直付となり、1万4千石を領した。

渡辺吉綱【わたなべ・よしつな】 1611〜1668 58歳
 大学、半丞、丹後守。重綱の5男。14歳で兄忠綱の旧知行分とあわせて3520石を与えられる。御書院番士、御小姓組番頭、御書院番頭、御留守居、大坂定番を勤め、寛文元年(1661)には1万石加増されて比企郡野本(東松山市上野本、下野本)に居所を構えた。