●中島可之助(?〜?)  [from:覇王伝]

 覇王伝初登場はこの中島可之助である。ちなみに名前は「べくのすけ」と読む。
 可之助は土佐長宗我部家の家臣である。長躯色白な可之助は朝には武芸を、夜には学問を学び、さらに和歌の心得もあるという立派な若者であった。しかし身分が低かったため「席に臨むごとに終に座上に着く事なし」(いつ行ってもオレは上座には座れねぇんだよなぁ)と愚痴をこぼしていた。そこで「『可』という字は漢文では必ず一番上に来る字だ。せめて名前ぐらいは一番上になってやろうじゃねぇか」と言って「可之助」という珍しい名にしたという。単なる負け惜しみである
 さて、その可之助にいよいよ出世のチャンスがやってきた。主君長宗我部元親が、長男の弥三郎の烏帽子親を破竹の勢いで天下統一をすすける織田信長に依頼しようと思い立った。つまりは織田家と友好関係を築きたい、という訳である。さっそく家老達を集めて協議を行い、使者には大身の家老を遣わそうという意見が大勢を占めた。しかし元親はしばらく黙っていた後に「いや、中島可之助にしよう」と突然言い放ったのである。
 これには家老達もびっくりして、久武親信が「可之助は未だ若年で、まだ他国に出たこともない田舎者である。使者として不適任ではないか」と反対意見を述べた。まあ当然である。しかし元親は「ワシの見立ては確かだ! 可之助はきっと成功させてくる」と一喝し、結局可之助に決まったのである。会議の後「可之助が失敗してお家に傷ついたらどげんするとね」と囁かない者はいなかったという。
 大任を請けた可之助は早速尾張へ出向き、まずは明智光秀の家老斉藤利三、ついで光秀へと話を付け、いよいよ信長本人とご対面と相成った。
 可之助が四国の状況を蕩々と語ると、信長は笑って「元親は鳥無き島の蝙蝠なり」と言った。これは「元親は鳥も住んでいない島で自由に飛んでいる蝙蝠である。つまり取るに足らない者が優れた者のいないところで幅を利かせているだけだ」と皮肉ったのである。しかし可之助もさるもので、これを平然と受け流すと「蓬莱宮のかんてんに候」と答えた。かんてんは「漢天」で天の川の見える空のことを言う。つまりは「元親は仙人の住む蓬莱宮のある島の、夜空に広がる天の川のような人でございます」と答えたのだ。
 信長はこの当為即妙な返答と可之助の物怖じしない豪胆さを誉め、元親の望み通り弥三郎の烏帽子親をつとめることを承知し、さらに自分の一字を与えて「信親」と名乗らせたのである。
 意気揚々と帰国した可之助に元親は大いに喜び、可之助に高い知行を与えた。こうして可之助は大出世を果たし、見事本懐を遂げたのでありました。

 ――以上、中島可之助の一生でした。

 ……って「これだけかいっ!」という声が聞こえてきそうだが、本当にこれだけなのだ。長宗我部家の事を記した『土佐物語』第10巻にある記述しか可之助の事績は残されていないのだ。そして織田方の史料には可之助の名前は出てこない。つまり実在の人物かどうかもあやしいのである。
 もっとも、中島という姓は長宗我部氏7代の兼光の弟俊高を始祖とし、岡豊城周辺を本貫地としていたため、戦国期の長宗我部家家臣には中島姓の者が多数いた。可之助もそれらのうちの一人と考えられるが、何分信頼できる史料が現存していないのが残念な限りである。

シナリオ所属所在国/城政治戦闘知謀采配野望義理忠誠
シナリオ2長宗我部土佐/岡豊城6549523865874
シナリオ3長宗我部土佐/岡豊城6649523865874
シナリオ4長宗我部土佐/岡豊城6649523865874


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