●内ケ島氏理(?〜1585)  [from:烈風伝パワーアップキット]

 今回登場の内ヶ島氏はシリーズ8作目の『烈風伝』が初登場という遅咲き(?)な武将である。
 内ヶ島氏は飛騨国大野郡帰雲城(岐阜県大野郡白川村)の城主である。白川といえば当地の合掌造り集落が世界文化遺産に指定されたことによりその名が全国に知れ渡ったのでご存知の方、また実際に訪れた方も多くいることであろう。
 もともと足利将軍に仕えていたと言われている(諸説あり)内ヶ島氏は、15世紀中ごろ、為氏の代の時に信州松代から白川郷へ移住した。当時の白川郷一帯は照蓮寺(鳩谷道場)を中心とした一向宗の勢力が強く、はじめ両者は争い、内ヶ島氏が負けて越中へ逃亡することもあった。しかし再度力をつけた内ヶ島氏によって一向宗勢力は衰退し、1488年、ついに両者は和睦。一向宗門徒は内ヶ島氏公認の元で信者を増やしていくことになった。
 こうして平和の訪れた白川郷だが、こんな山奥にも戦国時代の波がひしひしと押し寄せてきた。1585年、越中富山城主の佐々成政は能登の前田利家を攻めていたが、その援軍に内ヶ島氏理も出兵していた。その隙に、飛騨国司三木(姉小路)頼綱を討つべく出陣した金森長近が白川郷へ侵入。わずかな城兵しかいなかった帰雲城はあっさり降伏し、氏理自身もまた帰城途中に降伏した。三木(姉小路氏)も8月に滅亡して、飛騨一国もろとも羽柴秀吉の勢力化に入った内ヶ島氏だが、その直後に悲劇が訪れる。
 1585年11月29日、白川郷を大地震が襲った。この地震により「帰雲の峰は二ツに割れ(『飛騨鑑』)」て帰雲城とその城下町は全滅、内ヶ島氏主従もまた埋没してしまったのである。
 この地震を伝える史料を次に紹介する。

「飛騨国阿古白川と云所は、在家三百余軒の所なり、其時の地しんに、高山一つかけ落ち、白川三百余の上に落懸りて、数百人の男女も三丈計の下に成、在所の上は草木もなき荒山とぞ成にけり」(『三壺記』)
 地震のすさまじさが少しでもわかっていただけたであろうか。こうして内ヶ島氏は帰雲城とともに滅亡、歴史から消え去った。現在、城所在地の特定作業などが「埋没帰雲城調査会」によって行われている。なお、帰雲城のあったとされる白川村の保木脇地区には内ヶ島氏の5000億円の埋蔵金があると言われている。ひまのある人は探しに行ってみてはどうだろうか。
登場年政治戦闘采配知謀兵科特性
足軽/騎馬/鉄砲/水軍
特技陣形威信
155656475246D/C/E/E商業長蛇無視
シナリオ1シナリオ2シナリオ3シナリオ4
待機姉小路家/松倉城姉小路家/松倉城姉小路家/高山城


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